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◎再び子供たちの天地に かつて私の住む館林市西方の地帯は、アカマツを代表するクヌギ、コナラ林の雑木林が展開していた。冬季には赤城おろしの北西の風にアカマツ林の梢(こずえ)が大きく波うち、松風となり時にはうなり、時には心地よい子守歌にきこえ、林のふところにいだかれて育った思いがする。 雑木林の林床に茂るササや下草は常に刈りとられ燃料に、落ち葉は堆肥(たいひ)に使われた。林床に春が訪れると、ヤマツツジやレンゲツツジが咲き競い、木々の若葉の芽吹きの中、シジュウカラの鳴きさえずる中を逍遙(しょうよう)したものだ。 秋にはクリ拾い、キノコ狩り、そして雑木林は子供たちの天地だった。クヌギの樹液に集まるカブトムシ、クワガタムシが彼らの遊び相手であった。雑木林は私たち心のふるさとだった。五十年はさかのぼらない、少し昔の雑木林の姿だった。 話を戻して、里山という用語がはっきりしない点があるので、里山とは何かについて触れてみたい。四手井綱英氏の著書「森に学ぶ」によれば、往時、農家の裏山の薪炭(しんたん)の生産、落ち葉や下木、下草の採取によって堆肥、木灰の生産、さらに農家の修理木材の生産、クリ、カキなどの食物や、マツ、スギ、コナラ、クヌギ、ヒノキなどの多様性の高い林になっていることが多く、すべて農家が農業に営むのに必要な物質生産に関係する林だった。そして、丘陵地に接して集落がつくられた。里山とは一応、農地に続く森林、たやすく利用できる森林地帯を指すという。 高い山や暖地は別として、関東地方に多い里山の雑木林はクヌギ、コナラが代表する樹種なので、一般にクヌギ―コナラ林と呼ばれる。この林は薪炭林としてかつては重要であった。十五年から二十五年くらいに一回、木炭やたきぎとしての材料として切りはらわれる。切られて株からまた芽が生長してきて、次第にもとの樹の林へとかえっていく。その間、林床は下草刈りや落ち葉を集めて家畜の敷き草、堆肥の材料として農家では重要な資料であった。こうして人為的な管理によって、数百年にわたって繰り返されて、里山としての雑木林という姿が形成されてきたのである。 ところが戦後、化石燃料、化学肥料の普及により、薪炭林として雑木林の木材の利用が激減。雑木林は放置され、人との共生関係は失われてきたと考えられる。ところによってはササが茂り、無残な枯れ木が横たわり、人の踏み入れないほどである。 今、緑を取り戻そうと、公園づくりと植栽が行われている。それよりも本来五十年も八十年もの樹齢にまで培われたアカマツ、クヌギ、コナラの雑木林の樹々に目を向けて、これを生かすべきであろう。そこに集まる昆虫、野鳥、小動物、微生物にいたるまで、実に多様な生物のすみ家となっていて、豊かな生態系が存在するのである。かつて雑木林は子供たちの天地だった。再び、林の彼方に元気にはね回る子供たちの姿を念ずるものである。 (上毛新聞 2003年4月12日掲載) |