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東京医科大学病院集中治療室長 小澤 拓郎さん(東京都港区高輪)

【略歴】前橋高、東京医科大学卒。同大学院修士課程修了。同大学付属霞ヶ浦病院、同大学八王子医療センター麻酔科助手を経て、2001年4月から現職。

赤城山



◎故郷からの眺めが一番

 群馬を離れて二十三年がたとうとしている。ふと気付くと人生の半分以上を県外で過ごしていることになり、日々の仕事に追われて故郷を思うことも確実に少なくなっている。しかし、春と夏の高校野球が始まるとどうしても群馬が気になってくる。

 僕の母校は二十五年前の春に甲子園に出場することができ、現役の生徒としてアルプススタンドから応援する機会に恵まれた。そして昨春の出場時にはいてもたってもいられずに休暇を取り、遠路甲子園まで出かけ、再びアルプススタンドから応援することができた。同じく京都から駆けつけた兄と久しぶりに出会い、肩を組んで校歌を斉唱した時に群馬のにおいを感じ、目の前に雄大な赤城山の姿が浮かんで見えた。

 故郷を離れて暮らす者が故郷を思うとき、その瞼(まぶた)にはどんな情景が浮かぶのだろうか。人によっては山であり、川であり、海であり、あるいは人の顔かもしれない。僕が故郷を思う時、必ず瞼に浮かんでくるのが赤城山である。自分自身が赤城の麓(ふもと)の大胡町に生まれ育ち、いつでもその雄大にして華麗な山容を見ていたからだと思う。また地元の小学校から前橋市内の中学校、高校へ進学したが、いずれの校歌も“赤城”で始まるものであった。まさに赤城山に抱かれた土地で生活していたのかもしれない。

 東京で暮らしていても群馬県出身の人と出会うことも決して少なくない。しかし、出会う人すべてが赤城山に対して同じ思いを抱いているわけではないことに気付いた。冷静に考えると当たり前のことではあるが、赤城の麓で育った自分にとっては不思議にさえ感じた。

 では、群馬県のどの地域で赤城山を故郷の風景としてとらえられるのだろうか。もちろん、その山容がいつでも見える場所であることは想像に難くない。

 そこで校歌に赤城山が出てくる学校がどの地域にあるのか調べてみた。まず西側の渋川を中心とした地域では榛名、赤城の二山が、高崎を中心とした西南側では妙義も加わり、上毛三山あるいは二山が取り入れられている。そして前橋・伊勢崎を中心とした南側では赤城山のみ用いられる校歌が圧倒的であり、他山が出てくるのは少数派となる。どうやら地域によって校歌の中での赤城山が占める度合いに差があるようである。そしてこの差が赤城山に対する思いの差となっているのではないかと推察している。

 上毛かるたでも「裾(すそ)野は長し赤城山」と詠まれているように東西に長く、その山容も見る場所によって微妙に異なってくる。赤城山の見える土地に住む人たちは、皆自分の住む所から見える赤城山が最も美しい、と主張する傾向が強いと聞いたことがある。まさしくその通りで、僕は故郷の大胡町から宮城村に向かう道すがら、徐々に目前に迫ってくる赤城山の姿が最も美しいと信じている。

(上毛新聞 2003年4月8日掲載)