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◎自国を見つめ直す機会 高崎市国際交流協会では、外国人への日本語支援事業のひとつとして、十年前から日本語教室を開催しています。またさらに、この事業の充実を図るために、昨年から日本語指導者ボランティアを養成するための講座を企画しています。平成十三年度は四十三人が受講し、六十三人の外国人の方に日本語を教えたとのことです。平成十四年度の講習は二月十四日から始まり、私もこの講座を受講させていただきました。 現在、日本には約百六十九万人(財団法人入国管理協会、平成十三年度)の外国人が登録され、群馬県では約四万人の方が居住されています。出身国別では、ブラジル一万六千六百二十人、フィリピン七千四百三十五人、次いでペルー四千五百三十二人、中国四千七十九人―となります。また、市町村別の登録者で最も多いのは伊勢崎市、次いで太田市、大泉町、前橋市、高崎市―の順になります。街で外国人を見かけることも多いですし、買い物に出かけますと外国人の方が店員として働く姿も見かけます。小中学校にも英語を母国語とする外国人の先生がいます。 居住される外国人の方々にとって日本語を聞いて理解し、話せることは、仕事をする上で必要であるばかりでなく、地域生活をするために、また、子供たちにとっては、学校で学習をするためにも重要であることは言うまでもありません。日本語は話す人の人間関係や状況によって、言葉遣いが違ってきます。ほんのわずかな言葉遣いの違いで、伝えるべき内容や気持ちがうまく伝わらないことを日本人の多くの人が経験しているのではないでしょうか。外国の方ではなおさらのことです。 日本語を教えるということは、言葉そのものを教えるだけでなく、日本の習慣や文化などを伝えるということでもあります。今回の受講を機会に、私自身、日本語の文法や語彙(ごい)を学び直すとともに、あらためて日本について学ばなければならないことが多いことを感じました。 日本を離れ外国にいると、離れたところから日本を見つめ直す機会を与えられます。あるテレビの番組で二十代の青年がアジアを旅行し、現地の老人に「八月十五日は何の日か?」と聞かれ、全く答えられず老人があきれてそれ以後の話が続かなかったというものがありました。言葉は時代を映す鏡といわれますが、私が思っている日本語や常識、習慣というものも、すでに古めかしいものなのかもしれません。 昨年高崎を訪れたモンゴルの少女が、故郷モンゴルで習ったという日本語を聞かせてくれました。その日本語は、今は聞かれなくなってしまったような、美しく、流暢(ちょう)なものでした。はたして私が“今”の日本や日本語を伝えられるのか不安に思います。 しかし、あらためて日本のもろもろや日本語を見つめ直す機会を与えていただいたことに感謝するとともに、共に地域に生活する外国人の方に少しでもお役に立てればと思っています。 (上毛新聞 2003年4月5日掲載) |