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◎日本のイメージ払拭 この度の田中耕一さんのノーベル賞受賞は、専門分野への貢献だけではなかった。外国からわが国を見た日本のイメージは“創造者”ではなく“模倣者”と見られがちだったが、この受賞を機に従来のイメージを完全に払拭(ふっしょく)する快挙だった。 かれこれ四十数年前の私事だが、ツベルクリンの活性蛋白(たんぱく)を合成した際に、その構造を決定するのに大変苦労したことを思い出した。 長年にわたって、多くの人が蛋白質の分析に大変な苦労をしていたが、田中さんの発明はこの悩みを解消してくれた。それは蛋白質にレーザーを当て、プラスの電気を帯びた蛋白質を出させ、マイナスの電気を帯びたスリット(すき間)に引きつける。そして、スリットから検出器までの飛行時間を計り、この蛋白質の分子量を特定し、アミノ酸配列を決定するものである。 彼の研究で不思議な出会いがあった。補助剤・コバルトの微粉末をうまく混ぜるために、アセトリンを使うところを間違ってグリセリンを使ったのである。この補助剤をビタミンB12に混ぜてレーザー光線を当てると、微粉末のコバルトがレーザーを吸収し、グリセリンの量とコバルトの微粉末の量がちょうど適当な状態になったところで、大きな蛋白質がイオン化して崩れずに飛び出した…。 受賞対象となった手法“マトリックス支援レーザー脱離イオン化法(MALDI)”は、彼が二十五歳のときに生み出しもので、大きな驚きである。蛋白質のような生体高分子の同定構造解析のための手法の開発は、蛋白質分子の立体構造を決めることなどで機能を理解することができる。そして、新薬開発に革命をもたらし、食品検査・ガンの早期診断など、応用の可能性をもたらし、バイオテクノロジーのさらなる進歩に限りなく近づいた。 彼を知る先生は彼を評して、目立たないごく普通の生徒であり、決して“天才型”ではないが、“努力型”で裏表もなく、みんなと同調するタイプではなかったが、しんは骨っぽいところがあったという。その彼がその道一筋に着々と研究に没頭したことは、なせば成るの精神を貫き通した努力型の勝利であり、その生き方は“在野精神”そのものである。 島津製作所に勤務しても、彼は社内での昇進などに興味がなく、彼が長い間にわたって唯一求めていたものは、まさにエンジニアとしての誇りだった。一見どこにでもいそうな、ごく平凡な風ぼうをした田中主任は一夜にして、世界で最も有名なサラリーマンとなった。 厳格な構造が伝統的にあり、人間関係が明確に決められ、個人の才能が制限されている社会では、社会の隅に突然スポットライトが当たり、ただの砂粒だと思っていたものが、実はきらめく真珠だったと分かった。そんなストーリーはあまりにもそう快である。この度の受賞は、とかく複雑で不況に悩むわが国において、世の中の人々に活力と自信を与えてくれた。まさに、トルストイの「天才は努力から生まれる」の一語に尽きると思う。 人間誰でも、さまざまな分野で素晴らしい無限の可能性を秘めていると信じて努力することが、一層、わが国を活性化できるのではないだろうか。 (上毛新聞 2003年4月4日掲載) |