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柴山建設代表 柴本 天二さん(草津町草津)

【略歴】長野県延徳村(現中野市)出身。延徳中卒。群馬建築士会理事、吾妻流域林業活性化センター木材利用促進検討部会長、県木造住宅産業協会理事などを歴任。草津温泉の旅館などを多数建設。

地震と住宅構造



◎被害少ない伝統的建物

 二〇〇〇年十月に起きた鳥取県西部地震。地盤の固さが被害を抑えるという新聞記事やら、阪神大震災から八年のニュースを見て、感じたことを述べたい。鳥取県西部地震のマグニチュードは7・3、揺れは強烈だった。一九九五年の兵庫県南部地震に匹敵する地震だった。地震の観測点が池の近くにあり、岩盤の上に約十メートルの堆(たい)積層がのっていたため、揺れが二倍近く増幅されたという。堆積層が薄い分、増幅が抑えられたと聞くが、岩盤が固いため、周期の短い地震波が多かったことも被害が軽く済んだ理由にあげられていた。木造を扱う職人の目から、その時の新聞の写真を見る限り、伝統的建物の下屋(げや)の多い町並みだから、被害が少なかったと思う。

 伝統的建物の大貫(おおぬき)工法は清水寺の欄干の下のような構造をさすが、その基礎は玉石、切り石、アンカーボルト等は使っていない。土蔵の被害が目立ったというが、致命的なものはなく、せいぜい壁が落ちたくらいだったと私は見る。調査に当たった大学の先生方は「冬場の雪に備えた家造りがしっかりしていた」「建物と基礎が一体化していない建物が多く見られた」「基礎から外れることによってエネルギーを吸収したケースも見られた」と書いている。なぜ、大きな被害が出なかったかが、最大の謎とあるが、私にとっては謎でも何でもない。伝統的な建物が多かったからである。

 現在、住宅建設で問題なのは、今の建築の基礎中心型の工法の建物と基礎を一体化した新しい工法の異質構造体を一つにすること。鳥取県西部地震は伝統的建物の大貫工法の工法の堅固さを証明した地震であったのではないか。

 大学の先生たちは、団地のような人家があれば、10%―20%が倒壊しても不思議でないとも言っているが、私は倒壊するかしないかは、木造の伝統的工法と在来木造の今の新しい工法との差であり、伝統的建物と今の建築基準法による新しい工法の考えの違いであると思う。伝統的建物では基礎が建物と一体化していない。新潟地震の時にすぐに駆け付けた宮大工が話していた。伝統的、差し物造りの家は壁と瓦(かわら)が落ちていただけで、当時の建築基準法に合った、ハの字に入れた筋かいが仇(あだ)になり、揺れと突き上げで臍(ほぞ)が抜け完全に倒壊して桁が土台に、そのまま落ちていたという。兵庫県南部地震の時も一番被害の大きかったのは、終戦直後に建てられた建物で、神戸でも山の手にある伝統的な建物は被害は少なかった。

 現地の建築を知る人の話では、長田区とその近辺の建物は付け足しや、平屋の上に建物をのせた“神楽”と改造の繰り返しが多かったという。テレビで耐震補強と災害を減らすことについて取り上げていたが、木造の建物の事前補強を一九五六年以前の建物にと言うが、伝統的建物には通用しない。基礎の補強についてもしかり。テレビで見た限りの金物では、壁や筋かいの工法はさらに危険になる。

 耐震補強は信頼できる木構造に明るい専門家に相談してほしい。一刻も早く手を付けないと、関東・東海地震がやってくる…?

(上毛新聞 2003年3月30日掲載)