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◎音楽で生き方をたどる 私は今年、宮沢賢治をテーマに歌ってゆこうと思っています。賢治と同じ宮沢の姓に生まれた私ですが、賢治の歌に心酔したのは、オペラシアター・こんにゃく座の林光作曲の「セロ弾きのゴーシュ」の初演を見た時でした。舞台にはピアノ一台、歌手は六人のみで、歌い、演じ、ミュージカルかと思うくらいよく動きます。もちろん日本語で歌うのですが、何を歌っているのかわからない一般のクラシック系の歌手たちと違い、すべての言葉が明瞭(りょう)に聴き取れるし、歌も演技もとても自然でした。 セロ弾きのゴーシュは下手でしたからいつも楽長におこられてばかり。ある日、家に帰って猛練習を始めたゴーシュのところへやって来る動物たちとふれ合うなかで、彼はさまざまなことに気付かされ、自ら学んでゆくのです。 賢治自身も音楽が大好きで、オルガンやチェロを弾き、浅草オペラを見に行ったり、ベートーベンのレコードの発売を待ってすぐ購入したり、作曲をし、農学校の生徒のためにオペレッタを書き下ろしたりもしました。 「ゴーシュ(賢治)は、動物(いわば音楽の素人)たちの中で、ふれあい、学び、共に喜びをわかちあってゆく音楽家だ」と林光は考え、自分もそうありたいと記しています。 私は賢治の作品の奥に、彼の生き方や、こうありたいという願いや姿勢を感じます。林光の美しく素直で透明な旋律の中に主張が感じられるのとどこか似通っていて、賢治と林光の歌はずっと私のそばにあるのです。 そんな私が最近、違うタイプの賢治の歌と語りに出合いました。岡田京子の作品です。思い起こせば二十年ほど前、私は「ガソリンまみれのオートバイ」「灼(や)けつく渇きで」という二つの歌にひかれ、その作曲家である岡田京子と安達元彦の名を覚えていました。 数年後、「岡田京子とうたう会」で本人に会い、やさしく心に染みる彼女の歌を一緒に歌い、いつか彼女と共演する日がくる…と思ってもいましたが、そのまま十数年の日がたっていました。一昨年から、岡田作曲の「よだかの星」、次いで歌曲やピアノと語りの「ざしき童子(ぼっこ)のはなし」に取り組むうち、力強く、やさしく、のびやかで、地に足いた彼女の生き方が反映されていると感じました。 若いころは、わらび座の原太郎に作曲を師事し、東北ですごし、賢治を「賢治さん」と呼び、親しんでいる人々と接し、その魅力にふれたそうです。その後、清瀬保二に師事、賢治の詩に作曲した「春」「風景」「森も暮れ地平も暮れて」は全音楽譜の日本歌曲集にも載っています。山田洋次監督の映画「同胞(はらから)」の音楽を担当し、アコーディオンを手にした「うたの旅」で全国の人々へ歌を届け続けています。畑山博著の「教師、宮沢賢治のしごと」の良さを教えてくれたのも彼女。岡田さんとともに賢治の生き方を音楽でたどってみようという勇気がわいてきました。聴くだけのコンサートではなく、皆さんとともに歌い、語り、遊びます。ピアノは彼女の夫君の安達元彦さん。「賢治さんと遊ぼう」と題して前橋文学館で二十一日を初日に、春夏秋冬、年四回のシリーズです。賢治が大好きだという人も、賢治は難しくてという人もご一緒に、音楽で賢治をたどってみませんか。 (上毛新聞 2003年3月15日掲載) |