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◎生態系の変化が一因 二十世紀はじめ、長崎に端を発した松枯れ病は青森、北海道をあますのみで、全国的な広がりを見せている。群馬県には一九七八年ごろに入ったといわれる。現在、県下の低山帯、丘陵地、平地林のアカマツが次々に枯れている姿を見ていると思う。あるいは無関心の人もいると思う。この方面の多くの研究者によりその原因が明らかになった。松枯れの原因は体長が約3センチばかりのマツノマダラカミキリという昆虫が松の枝をかじっていき、カミキリのおなかから多数の小さな(体長1ミリにも満たない)マツノザイセンチュウという線虫がかじり、後から侵入して、マツの木部の仮道管(水液の通路)や樹脂道(樹脂が分泌される分泌道)の中で繁殖して、そのまわりの細胞を破壊することで、水、樹液の流動が止まって、マツはだんだんと元気を失って枯れていくといわれる。 つまり材線虫が松枯れの犯人で、マツノマダラカミキリはマツノザイセンチュウの運び屋であるという。このマツを枯らすマツノザイセンチュウは検疫体制が整備される前に丸太によりカミキリムシとともに侵入した可能性があるといわれる。そして日本の松は思ってもみなかったインベーダー(侵入者)のような強敵に出合うことになった。それがなぜ、戦後、爆発的に松枯れが広がったのか。被害増大の背景となることに触れてみたい。 私の子供のころは、山(雑木林)に入って、もしき拾いを盛んにした。もしきという言葉は今は懐しい用語となった。マツの枯れ枝が最も燃料には良いもので、風呂たきから炊飯に使われ、当時は貴重な燃料であった。燃料革命により今は石油、ガス等の化石燃料で、林の中の林床は枯れたマツの木は放置され長い間続いた生活様式が突如として変わったのである。 つまり知らない間、線虫やカミキリムシの幼虫は燃料とともに焼却され、駆除されてきたと考えられる。このような人と雑木林(里山)との共生が失われた社会的経済的な背景が松枯れ病を拡大した一因と考えられる。 一方山地には、スギ、ヒノキ等の植林が盛んに行われ、実をつける落葉広葉樹、例えば、コナラ、エノキ、ムクノキ、ミズキ、ニシキギ、アオハダ、ミズナラ、ブナなどが伐採された。そうなると、野鳥の格好のえさとなる果実をつけないマツ林、スギ林、ヒノキ林の単純林には野鳥はあまりやって来ない。つまり、カミキリムシの天敵となる野鳥との関係だが、森林総合研究所東北支部の研究者によると、野鳥のアカゲラは極めて高率に越冬中のマツノマダラカミキリの幼虫を補食させることがわかったといわれる。森林、雑木林の生態系が人間によって均衡が保たれなくなったことにも一因があると考えられる。 その他、夏の高温、乾燥等、マツノマダラカミキリの激増時に気象条件の悪化などさまざまな要因も考えられる。里山や平地林に適当な人為的管理を加えて、マツの生育に適した環境づくりが大切である。 (上毛新聞 2003年3月11日掲載) |