視点 オピニオン21
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トレーニング指導士 大谷 博子さん(桐生市宮本町)

【略歴】日本女子体育短大卒。3年間、中学校で体育教諭を務めた後、家庭に入り子育てしながら文化活動を始める。1977年児童文学の部門で県文学賞、81年には日本児童文芸賞新人賞を受賞。

巣立ちの季節



◎支えてくれた父の手紙

 春の息吹が漂う朝、一組の若い夫婦が、保育園の柵(さく)越しに、園児の遊んでいる様子をじっと見ながら、話をしていました。

 私は「もうじき入園するわが子を思い、様子を見に来たのだろう」と、勝手に解釈しながら、いつの時代も変わらない、“親の心”と“巣立ちの季節到来”を感じ、感傷に浸ってしまいました。

 きっと、ここ連日入ってくる、わがクラブ卒業生たちの旅立ちニュースのせいかもしれません。

 私は、今の人生の分岐点となった、十八歳の春の旅立ちを回顧しました。「高校を卒業したら、地元に就職する」と、親も望み、私も決めていたのに…。きっかけは、体育の授業でした。

 「あなた、運動得意だから、体育の先生になれば良いのに」

 気さくな女子体育の先生のお褒めの一言が、私の背中を強く押したのです。

 高三の三学期に入ってから「東京の体育大学に行きたい! 将来、体育教師になりたい!」と、家庭の事情も顧みず、自分の夢に向かって、突進しました。

 親の反対を押しきり、ついに我を通した私は、三月末、期待に胸を躍らせながら、家族に見送られ、上京していきました。

 勇んで家を離れたものの、厳しい寮生活やつわものぞろいの部活動、慣れない授業、初めてづくしで、緊張の連続。私はたちまちホームシックにかかってしまい、自分の心の弱さをここで初めて知らされました。

 その五月病を退治し、徐々に自分自身を取り戻すことができたのは、家族や先生や友人の手紙でした。それぞれ、特徴ある文字の温かい文章が、しっかり私を支えてくれました。

 今も大切に取ってある手紙ファイルのその中に、筆無精の父からもらった一通の手紙もあります。

 太めの万年筆で書いた手紙を、父はどんな思いで投函(かん)したのでしょう。格言の「艱難(かんなん) 汝(なんじ)を玉にす」のたとえを使い、苦しい事や辛い事を耐え忍んでこそ人に対する思いやりや、励ます指導力が身に備わるのだよ、そういう意味では、今、お前は貴重な体験をしているのではないかな? と書かれています。そして、人間、“優しさ”というものは貴重な要素だが、“強さ”、これは波荒き人生を生き抜く大切な武器であることを心に留めて勉学に励み、お前の目標到達が来る日を願っているよ、と結んであります。

 通信手段、何でもありの現代、携帯電話やインターネットで速攻交信ができますが、新天地での生活は、希望や期待と同じくらい、緊張、不安がつきまとうものです。適当な距離と時間を置きながら、巣立つ者を見守っていきましょう。

 巣立ちの春、いろいろなドラマの始まりです。

(上毛新聞 2003年3月9日掲載)