視点 オピニオン21
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元高等学校長 山下 隆二さん(高崎市正観寺町)

【略歴】群馬大学芸学部卒。東京都中野区立中央中や藤岡工高、渋川高に勤務、東毛養護学校伊勢崎分校教頭、太田西女子高校長を務める。東和銀行勤務。

貧しさと豊かさ



◎心の在り方を考える時

 「社会の進歩があるとともに、一方に精神の堕落がある」。これはスイスの哲学者・文学者H・F・アミエル(一八二一―八一年)の言葉ですが、今の日本を言っているように思えます。現在の日本は、経済的には成熟社会と言って良いでしょう。平成七年ごろ、バブルが崩壊し景気が悪くなってきたとはいえ、私たちの暮らしが大きく変化して、食料がなくなるとか伝染病が蔓(まん)延するとかの極めて貧窮している状態ではないと思うからです。

 五十年前の日本から見れば、生活は思いも寄らぬ高度な成長です。収入も上がり欲しいものは簡単に手に入る、車や機械化社会、食生活の向上、パソコンや携帯電話等々、大変便利な世の中になったのは事実と言えます。

 しかし、人々はこの便利な生活をそう楽しむでもなく慣れて当然の顔をして毎日を過ごしている。それどころか何か不満を持ちながらさらに楽な生活を求めてエスカレートしそうなのが今の社会ではないでしょうか。欲求が満たされると発展は望めません。今の若者たちには高い望みがない者が多いと聞きます。これは、生まれた時から恵まれた環境にいて、欲求はすぐかなうし、何の不自由もないことに関係があると思います。

 五十年ほど前までは、誰もがより豊かな生活を求め、勤勉であることがきっと幸せにつながると信じていたし、働くことが美徳であると思い、お互いに戒め合っていました。当時は「働かざる者食うべからず」という言葉をよく耳にしました。大人たちは、朝早くから夜遅くまで本当に良く働きました。子どもたちも朝起きれば庭掃除、学校から帰れば家畜の世話や家の手伝い等を必ずやっていました。この勤勉さと知恵が戦後国を再建し、急激に世界の経済大国になったのだと思います。

 ところが、この急激な経済成長の裏には思わぬ落とし穴がありました。それは、経済(お金になること)を優先するあまり、礼儀や心の豊かさ等が低下したことです。世の風潮がお金さえあれば良いという方向でした。これに少子化による親の過保護、核家族化による対人関係不足、父親の権威の低下(父親は仕事に追われる毎日)等が拍車をかけました。

 昔は大家族の家庭が多く、祖父母や父母、多くの兄弟姉妹に囲まれ、父親はじめ皆が躾(しつけ)や礼儀についてよく教えてくれました。大人は、他所(よそ)の子どもの躾等にも注意をしていました。これらは儒教の影響かと思われますが、親に孝行、兄弟は助け合い、目上の人を敬い、礼節を重んじ勤労を貴び、隣近所は協力ということが基本にありました。また学校の先生は特別尊敬の念が払われていました。裕福ではなかったが、勤勉と礼儀を重んずる人々は精神的には豊かであったと思います。

 私の子どものころは貧しかったけれど、仲間はいつも共通の遊びを持ち参加できたし、遊びの中に社会でのルールを学んだし、自然の中での経験は、今でも心おどる思いです。

 今、心の在り方を一考する時と思います。

(上毛新聞 2003年3月2日掲載)