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佐野短期大学社会福祉学科教授 日比野 清さん(館林市堀工町)

【略歴】東京生まれ。12歳の時に失明。明治学院大学、大阪市立大学大学院修了。社会福祉法人日本ライトハウス・視覚障害リハビリテーションセンター所長などを経て、現職。

バリアフリーとは(2)



◎広い意味で教育の問題

 前回(昨年十二月十一日掲載)に引き続きバリアフリーに関することについて話を進めましょう。

 バリアフリーとよく似た「ユニバーサルデザイン」という考え方は、一九九〇年初期にアメリカで採用され始めました。その特徴について少し説明しておきましょう。その一つ目は、区別をしないということです。重度障害者用の特別仕様の装置や品物があってはいけないというのではありませんが、可能な限り不特定多数の人を対象に物を設計しようということです。二つ目は選択の自由があることです。これは利用者の立場から自由に品物や装置を選び、適宜利用できるようにすることです。三つ目はバリアーそのものをつくらないということです。対症療法的にバリアーができた後にそれを取り除くのではなく、最初からバリアーをつくらなければ、バリアフリーということすら必要ないというわけです。

 少し具体的に説明しましょう。二〇〇〇年五月に、「交通バリアフリー法」が制定されたこともあって駅などにエレベーターが設置されるようになってきましたが、後から設置することもあり、エレベーターはプラットホームの端にあることが多いようです。これでは、ひとけのない夜にいくら疲れていても利用するのをためらってしまいます。しかし、エレベーター・エスカレーター・階段がほぼ同じ場所にあれば、利用者はそのときの体調や状況によって、どれを利用するかを選ぶことができます。また、公園やコミュニティー広場に高さの異なるベンチや水飲み場を設置することによって、その人の身長に合わせて選ぶことができます。

 共用品やユニバーサルデザインという物理的な形や装置、設備などのいわゆるハードの側面だけが重要なように考えられがちですが、決してそうでなく、そのものをどのように利用するのか、周囲の人々がどのような援助をすれば良いのか、どのような環境が必要なのかなど、いわゆるソフトの側面も重要な要素です。いわば両者は車の両輪であるといえます。援助を求めて一声かければ、アメリカでは多くの通行人が同時に返事をしてくれますが、日本ではほとんど返事は戻ってきません。レストランや商店に入るときや、交通機関を利用するときなど、車いす使用者がいれば、たとえ食事中であっても、座っていても駆け寄る、「援助するのは当たり前!」という気持ちがどうすれば身に付くのでしょうか? それは幼児期からの自然な触れ合いの中から生まれるのだと私は思います。広い意味では教育の問題だといえるでしょう。このような意識と行動が、自然に実践されるような環境をつくっていくことが大切なのではないでしょうか。高齢者や障害者にやさしい街は、すべての人にとってもやさしく、そして住みやすい社会なのです。

(上毛新聞 2003年2月14日掲載)