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◎供応費に見解の相違? 毎年、年末になると、テレビでおなじみの「忠臣蔵」が放映される。昨年末にも「忠臣蔵」が連夜にわたって長時間放映された。 以前、赤穂の大石神社を訪ねた時、浅野内匠頭が吉良上野介に切り付けたという「小さ刀」が展示されていた。この刀から、すべての事件がはじまり、多くの人の生き方に影響をおよぼしたのである。 私は、毎年「忠臣蔵」見ながら、こんなことを考えている。まず第一は「内匠頭が上野介に切り付けた本当の理由は何だろうか」ということと、また、いろいろな都合で、脱落していった浪士たちは、その後どう生きたかということである。討ち入りが成功し、討ち入りに参加した浪士たちが、天下の「忠臣」とたたえられたのに対して、「不忠臣」となってしまった浪士たちへの世間の風当たりは、さぞかしたいへんだったことだろう。学研の「歴史群像シリーズ57号 元禄赤穂事件」によると「不忠臣」と言われ、自害した浪士もいるという。 映画やテレビでは、上野介の供応指南での「意地悪」説が定説となっている。供応役といえば、徳川将軍家の法会、年始の答礼などに、天皇・上皇・女院のご使者として、公家が江戸に下ってくるのをもてなす大切な役である。 上野介は、こうした儀式・典礼などをつかさどる「高家」筆頭で名門の家柄である。内匠頭の供応役は二度目で十八年前に一度経験している。浅野家では祖父も経験しており、浅野家としては三度目である。 この内匠頭が供応役に大失態を演じれば、その責任は、指南役たる上野介に及んでこよう。高家筆頭としての名門の家柄に傷がつくし、家門の名折れともなるだろう。自分自身や家柄にも傷がつくような、内匠頭が供応に失態を演じるようなそんな意地悪をする必要があるだろうか。 上野介は、愛知県の吉良町では、名君の誉れがたかいという。吉良荘には、領内を赤馬に乗って見回る上野介の像が建てられているという。 また、上野介の業績として、洪水を防ぐためにつくられた堰(えん)堤もあるという。学研の「歴史群像シリーズ57号 元禄赤穂事件」の中に、内匠頭が上野介に切り付けた理由は「供応費の問題である」という記述がある。私もそのあたりが切り付けた理由ではないかと思う。当時赤穂藩は財政が底をつき、莫大(ばくだい)な借金を抱えていたという。内匠頭の準備できる供応費と上野介の要求する供応費の差額が大きすぎたのではないか。元禄十年の供応費は千二百両かかったという。内匠頭が準備した総費用がこれよりも少なかったのではないかともいわれている。激しい意見のやりとりがあっての感情的なもつれが原因ではないのかとも思われてくる。たとえ若干のわいろを受け取ったとしても、上野介は供応の指南料ぐらいに考えていたのではないか。元禄時代は、わいろは当たり前の世の中だったから。 俗説では、吉良家では、襲撃を恐れて用心棒の浪人を多く召し抱えたと伝えられているが、本当に警戒するならば、上杉本家に庇(ひ)護を求めて逃げ込めばよい。吉良家では、全く無防備で落とし穴や抜け道もなかったといわれている。「忠臣蔵」はあくまでもドラマであるが、関係した多くの人たちの人生の哀愁や忠臣蔵外伝にそのロマンをいろいろと感じさせてくれる。 (上毛新聞 2003年1月31日掲載) |