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◎命ある限り情届けたい 少々遅めの起床。初風呂を浴びる。さかずきを交し、雑煮に腹ふくるる。脳も心も陶然とする。そんな時刻、待ちに待った年賀状の束が届く。 一葉、一葉。手に取って丁寧に読み継ぐ。半世紀以上も賀状交換をしている人のもの。「あっ、元気だな」と、うれしくなる。 近年、同窓会に出席して若い時の“やりとり”が復活した友達もいる。ひそかに地味に続いている者。生きざまに映じて、さまざまな文面が面白い。 賀状に、ことよせて昔日の思いをにおわせる書きぶり。たった数行足らずの言葉に盛り込む純情さは、若草をはぐくむ大地に似て、ふんわりと柔らかく温かい。生きる年月の限られた世代は、告白調のものでも許されるかもしれぬ。 賀状を通して遠くを見るような気持ちで送り主の顔を思い浮べる。でも時折、家族から伝わる本人病床などの報もある。 この至福の時に、水を差す知らせもあるが、お互い年齢を重ねれば致し方もないこと。賀状を胸にあて、キャピキャピした時代は去ってしまったかもしれない。 旧年の秋。私の思春期から文通を欠かさなかった、いとこがこの世を後にした。姉妹がいなかったせいか、私の父と年齢が近いのに、私の音信に必ずこたえてくれた。 終戦直後、本屋にも本が払底していたころ、使い古しの辞書や参考書を送ってくれた。夢のような西洋の物語、英文の賛美歌や聖書も彼の計らいだった。 進学や就職のこと。恋愛や海外遊学のこと。節目、節目の生き方の指針も、さりげなく教えてくれた。 本年は、そのいとこからの賀状は探すべくもない。 私には、もうひとつ悔やんでも悔やみ切れない「賀状」断絶がある。母他界の百日ほど前、彼女の楽しい季節の挨拶(あいさつ)状が海外から飛び込んだ。 母の死期を知らされていた私の心は千々に乱れ、他人への気遣いなど考えられなかった。肉親との別れがいかに苦しいか想像すらできなかった私は、その年の賀状は書かなかった。 全く自分ひとりが、この世の不幸を背負っているような、怒りを含んで返礼を投函(かん)してしまった。 当然、教え子であった彼女からの音信は絶え、十年が経過した。帰国したことも人づてに聞いている。謝罪したい気持ちで毎年この季節を迎えるが、私の大罪は許されるものではない。 加齢世代の今、その罪を重く受け止め、決して繰り返す愚を犯してはならない。この世でご縁を得た誰にでも、心からなる賀状を認(したた)めなくてはならない。凡愚の故か満足のいく賀状は不可能かもしれぬ。だが命ある限り、情を傾け、年賀状に年賀の情を届けたい。 (上毛新聞 2003年1月1日掲載) |