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◎幻となった豊かな自然 昭和二十四(一九四九)年に、三野谷中学校(現・館林三中の前身)に理科教師として奉職した。当時中学校では勤労奉仕を学ぶ一つの行事として、地域の茶摘みやイナゴ捕りをして汗を流し、勤労の精神を経験させた。 五月のある日、生徒たちの茶摘みの監督として、先輩の先生と近藤沼近くまで出掛けた。近藤沼は館林市の西方に位置し、谷田川の一部源流となっている。明治初年のころの水表面積は約三十一ヘクタールであったという。 生徒の茶摘みの監督の傍ら、しばし先輩の先生と近藤沼の岸辺で休憩した。水面はヒシをはじめ、今では絶滅危ぐ種となっているクロモ、オニバス、、イヌタヌキモ、アサザ、ガガブタなどの水草が一面に広がっていた。穏やかな水面に、水鳥や魚が群れていた。誠に自然豊かな所であった。 先輩の先生は「松澤さん、この近藤沼の自然を野外学習に生かしたらどうか」と、私の将来に示唆を与えてくださった。そうだ、こういう豊かな自然が中学校の近くにあるではないか。ここを自然科学教育の教場として生かしてみたい。今でいう総合学習の一環として、約五十年前に私は取り掛かったのである。 昭和四十(一九六五)年のころまでは沼の岸辺は抽水(ちゅうすい)植物に覆われ、沼の北側は幾重にもクリーク状の沼が入り込み、くしの歯状の水田となっていた。そこまで農家の人たちは舟で行き来し、水田を耕していた。このクリーク状の沼地が環境の変化に富み、豊かな生物相に恵まれていたのである。 さらに北方(今では鶴生田川の水路となっている)の周辺には湿原が広がっていた。この湿原こそが、恐らく県内で低地湿原の最も植物の豊かな所であったと考えられる。そこは一面のヨシ原であるが、冬にはきれいに刈り取られて、湿原内に足を踏み込むと弾性があり、尾瀬ケ原のような谷地坊主(やちぼうず)の群落があり、それはヌマクロボスゲ(スゲの一種)が長い年月の間、生命の消長を繰り返したい積したものである。早春にはヌマクロボスゲをはじめ、ノウルシの黄色い目のさめるような鮮やかな色に湿原は染まり、初夏のころには食虫植物のモウセンゴケが葉いっぱいに粘液をためて虫を待つ。尾瀬ケ原に見られるトキソウの花、サワギキョウ、クサレダマ、秋にはホソバリンドウなど、多彩な植物が自生していた。 当時、湿原のヨシは冬期に刈り取られ、農家ではたい肥や、カヤぶき屋根などに使われた。従って、早春から初夏にかけて成長するモウセンゴケやスゲ類は、ヨシの伸びる前に十分に陽光を浴びて、開花結実し、一生を全うできる。その後にヨシが伸びるので、ヨシの成長と湿原内の小さな野草はうまく調和がとれた。 現在はヨシ刈りなどの湿原の管理が行われず放置され、ヨシ原内の小さな貴重な植物は、次第に消えていった。つまり人と自然との共生が失われた。わずか二、三十年の間に。そして近藤沼周辺の湿原、クリーク状の沼地などは埋め立て、乾田化、公園化し、豊かな自然は幻となった。当時を知る人は少ない。 (上毛新聞 2002年12月6日掲載) |