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◎伝説は民衆の夢、希望 私が郷土の歴史に興味を感じてから、三十年あまりになる。この間を振り返ってみて「歴史は生きている」と感じた。以前、水戸天狗(てんぐ)党と下仁田戦争についての聞き取り調査で、筑波山ろくのある農家を訪ねた時のことである。九十歳近くになるかと思われるおばあさんが「あんたは天狗党とかかわりのある人かい。そんなら何も話すことなんかないんだよ。うちは天狗党のためにお金を借りていかれたり、馬を持っていかれたりしてしまい、それから家が傾いてしまったんだよ」と語るだけで、話を聞くことができなかったことがある。 ある年のこと、水戸より大勢の方がバスで下仁田にやって来たことがある。最初に「水戸の天狗党は下仁田の人たちに迷惑をかけるようなことはありませんか」と尋ねてきた。「そんなことはありませんよ」と答えると「それを聞いて安心しました。そのことばかりが気になって仕方ありませんでした」とほっとした様子。下仁田戦争が終わってから百二十年以上もたっているのにびっくりしてしまった。 昭和五十九年に、下仁田戦争百二十年祭を開催した時のことである。懇親会の席上で、ある人が「水戸藩の戦死者は四名であるというが、もっとたくさんの人が戦死をしているはずである。この席でそれを明らかにしてほしい」と切り出したのである。確かに水戸天狗党も多くの人が傷つき、内山峠越えで命を落としている者もいる。下仁田戦争にゆかりのある人にとっては、過去の話ではなく、今も生きているのである。 また、国定忠治の資料調査で会津地方のある村を訪ねたことがある。お年寄りが四、五人でお茶を飲んでいた。私は群馬から来たというよりも上州から来たという方がよいかと思い、「上州から来たんですが…」と言うと「なに長州! そりゃ駄目だよ。帰っておくれでないかい」。訳を聞いてみると、この村は戊辰(ぼしん)戦争の時に長州勢に攻められて戦塵(せんじん)にまみれたとのこと。その苦い思いが今に残っているのである。幕末は、まだそんなに遠い昔の話ではないのである。 忠治が沼を掘り返して水をため、かんばつから農民を救ったという伝説がある。ある日、この沼を訪ねてみた。畑仕事をしているおばあさんに「この辺りに磯沼があったとのことですが、どの辺りでしょうか」「ああ、忠治さんの沼ですか、知っていますよ」と、忠治に「さん」を付けて答えてくれたのにはびっくりした。岐阜県のある町には、忠治が農民を助けたとして「忠治大明神」に祭られている。 伝説と史跡を訪ねてみて、伝説とは人々の間に長く語り伝えられているもの、つまり民衆の持つエネルギーだと思う。こうして何代にもわたって語り継がれているもの、それもまた歴史だと思う。 伝説とは、民衆の持つ夢であり希望でもあり、願いでもあるのである。歴史とは、まさにロマンである。 (上毛新聞 2002年12月5日掲載) |