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大阪産業大教授 高橋 泰隆さん(埼玉県行田市須加)

【略歴】早稲田大大学院博士課程修了。関東学園大講師、同助教授を経て、2001年4月から大阪産業大教授。著書に「中島飛行機の研究」「日本自動車企業のグローバル経営」などがある。

賠償


◎忘れてはならない問題

 歴史には過ぎ去った古い昔のこともあれば、現代に生きるわれわれの時代の共有物であることもある。過ぎ去ったものとして遠い忘却の淵(ふち)に沈めたい事実もあれば、決して忘れることのできないこと、いや忘れてはならないこともある。未解決の賠償問題の存在がその一つである。

 日本と朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)との間の国交正常化交渉は日本人拉致問題の行方と絡んで見通しが立たない。今から三十年前の一九七二年に、田中角栄首相は日中国交正常化を決断し、中国を訪問し、国交が開かれた。七八年十月には日中平和友好条約批准書がトウ小平副首相と福田首相との間で交換された。中国は当然請求できる対日賠償権を放棄した。中国の「大人」の振る舞いを日本は忘れてはならない。アメリカ、イギリス、オランダ、オーストラリア、インドも放棄している。韓国との賠償は六五年の日韓基本条約により無償三億ドル、有償二億ドルで決着した。フィリピン、ビルマ、インドネシア、南ベトナムとの間では五〇年代末までに合計で一一・六億ドル、経済協力七・五億ドルでまとまった。

 賠償とは何か。賠償とは戦勝国が敗戦国に要求する補償をいう。日清戦争で日本は清国を負かして賠償金を受け取り、それをもとに金本位制を採用し官営八幡製鉄所を建設して世界の一流国の仲間入りを果たした。第一次世界大戦の戦後処理のベルサイユ条約では、英仏はドイツに対して二度と立ち上がれないように、懲罰的な意味を込めて、天文学的な金額の賠償金を課した。イギリス代表の一人であったJ・M・ケインズは反対して席をけった。

 第二次世界大戦後の賠償問題は、かつての戦後処理がナチスの台頭を招いたことを反省し穏やかなものとなった。ドイツからの取り立てはドイツ人の生活水準がイギリスとソ連を除いたヨーロッパ諸国民の平均を超えない水準に保つことが条件であった。ケインジアンのK・ガルブレイスはこのミッションに参加した。

 対日賠償では日本人の生活水準を江戸時代のそれにとどめ、できるだけ賠償に回すべきであるという、議論があった。その後東南アジアの人々と同一水準にするべきとなり、賠償のために撤去するものとして機械類が登録させられたこともある。しかし米ソの冷戦構造成立、朝鮮戦争勃発などにより、アメリカは日本工業力を破壊するより利用を重視するにいたる。五一年九月のサンフランシスコ平和条約では、賠償は各連合国と日本との個別交渉にまかされた。この時から、五十年がすぎ、いま北朝鮮との交渉が再開しようとしている。国と国の関係では最後の戦後処理になる。

(上毛新聞 2002年11月20日掲載)