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◎日没閉館の個人美術館 「自然光がこんなに美しいとは知りませんでした」「絵って表情があるんですね。この前ここへ来たのは晴れた日、今日は雨です」 館内に置いてあるノートには多くの感想が残されています。 平成十年六月、滋賀県日野町の第三セクター・滋賀農業公園に織田廣喜(芸術院会員・二科会常務理事)の個人美術館がオープンしました。人工照明は一切使用せず、自然光のみで鑑賞してもらうことになっています。季節や天候によって、またその日担当の女性学芸員の個人的な視力差によっても閉館時間は違ってきます。彼女が夕方館内を見まわして絵が見えにくくなったなと感じた時、「開館」の看板を引っくり返すと、「日没につき閉館いたします。明るいうちのお越しをお待ちしております」が表になって一日が終わります。このため、残業ゼロ、電気代もゼロの美術館です。 織田先生とは画家と画商の関係で、アトリエにうかがって絵を描いてもらって三十年になります。初めてお会いした時から絵にも人柄にも魅了され、いつか「織田廣喜美術館」を造りたいと思いました。絵が仕上がった後、お茶を飲みながら先生のお話を聞くのが楽しみでした。「女性の表情の中に寂しさをだすことにこだわり続けています。寂しさを狙うなら目が勝負。“幸せな寂しさ”を出したいのです」「絵にはうそが大切です。ボクは子供の時から絵を描く上でのうそは大変得意でしたよ」「道端の野の花が好きでよく描きますが、心配ばかりかけた父や母のことが思い出されて寂しくなります」 織田廣喜ミュージアムの構想が具体化する中で、叙情的な織田廣喜の作品には無機質な安藤忠雄(東大教授)のコンクリート打ちっ放しの美術館が一番ふさわしいと考えました。紹介者を通して電話で「六十坪の織田廣喜の美術館を設計してほしい」とたのんだのですが、「六十坪とはずいぶん小さいんだね。それに織田さんにも会ったことはないし…」とことわられました。半年後、上京してくる安藤さんと東京駅のステーションホテルの前で待ち合せて、世田谷の織田先生のアトリエへ案内しました。 アトリエには十二年前、くも膜下で倒れ植物人間となった奥さんが口を開けて寝ていました。「おれにはできない。十二年も女房を看病しながら仕事をするなんて、おれにはできない。できても半年だろうな」と言って安藤さんはじっと奥さんを見つめていました。 その時、写真家の林忠彦が一九五六年に撮影した一軒の家の写真が話題になりました。織田先生と奥さんが廃材を利用して、二週間かけて建てた、電気もガスも水道もない、畑の中の掘っ立て小屋のような家でした。「太陽のある間はひたすら絵を描き、日がくれたら寝るという日々を過した画家の絵は太陽の光の中で見てもらおうではないか」と言って、安藤さんはその場で、自然光だけの美術館の設計を引き受けてくれました。 (上毛新聞 2002年11月7日掲載) |