視点 オピニオン21 |
■raijinトップ ■上毛新聞ニュース |
|
|
◎異質な文化入り交じる 旅はいつも素晴らしい。初めて目にする自然や文化に心を洗われ、生きている喜びを感じる。その典型がこの夏に訪れたトルコのネムルート山であった。 トルコに残る文化遺産は、はるか遠い紀元前十世紀代、人類史上初めて鉄器を使ったヒッタイト人の王国のものがあったり、古代のギリシャやローマの時代のものが多い。今のトルコ人は、十三世紀ごろからこの地に進出した中央アジア草原の遊牧民で、イスラム教を信奉し、三大陸にまたがる広大な地域を支配したオスマン・トルコ帝国の末裔(えい)である。 トルコには有史以来この地に生息した人種も宗教も異なるさまざまな人たちの足跡が渾(こん)然一体として残っている。それが、エーゲ海の紺碧(ぺき)の青さやカッパドキアなどの独特の自然景観とまじり、さらに食べ物の豊かさもあって、トルコの旅を一層魅力あるものにしている。 ネムルート山はトルコ中央部の高原地域に聳(そび)え、標高は二、一五○メートル、富士山のような円錐(すい)形の山容が美しい。この地域一帯は、二千メートルを超す山々が連なり、いくつもの深い渓谷から流れ出る河川はかのユーフラテス川の最上流である。昔から谷間の狭い土地で農耕が行われてきたが、雪解け水に恵まれ、“天然の要塞(さい)の中で狭いけれども驚くほど豊かな土地”とのことである。 この地は、紀元前六世紀にはアケメネス朝ペルシャの支配下にあり、ペルシャ戦争で代表されるペルシャのギリシャ方面への進出の重要な中継点であった。アレキサンダー大王がそのペルシャを滅ぼし、アレキサンダー大王亡き後は人や宗教も東西入り交じるヘレニズム文化の圏域にあった。その中でこの地にコンマゲネ王国が独立し、後にローマの支配下に入るが、紀元前一世紀ごろが王国の歴史の中で最も豊かで強く、華やかな時期であった。 私たちの見学のお目当ては、ネムルート山の頂に王国最盛期の王様オンティオコスI世が造ったヒエロデシオン(聖なる場所=古墳と三つのテラスからなる霊場)の石のモニュメントと東のテラスで見る日の出であった。明け方の三時に麓(ふもと)のホテルを出て山頂に登り、五時すぎの日の出を拝み、日の出の光をうけて輝くオンティオコスI世やゼウス―オロマスデス、アポロン―ミトラス、ヘラクレス―アルタグネス―アレス、霊場の守護神であるライオンや鷲(わし)などの巨大なる石像を見たときの感激は言葉に表せないほどであった。 ちなみに、ゼウス―オロマスデスは、ギリシャ神話の主神ゼウスとペルシャの国教であったゾロアスター教の主神アフラ・マズダを混淆(こう)した神で、ギリシャ風の顔にペルシャ風の帽子をかぶっている(オロマスデスとは、アフラ・マズダのギリシャ語風の呼び方とのこと)。他の神も同様で、ヘレニズム文化とはこういうものかということを目の当たりにした。東西の大陸を結ぶ地域において、独特の風土の中で異質な文化が入り交じる姿に接した感慨は、異郷の旅ならではの醍醐(だいご)味であった。 (上毛新聞 2002年10月31日掲載) |