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建設会社勤務(管理建築士) 川野辺 一江さん(館林市近藤町)

【略歴】東洋大工学部卒。都内の建築設計事務所勤務などを経て結婚後、一級建築士に合格。管理建築士を務めている。館林市の中心市街地再生を考える「まちづくりを考える研究グループ」メンバー。

老後の住まい


◎ワンパターン見直して

 先日、兄のところに送る荷物にすき間があるので、JAの店で地元の野菜を買って、車の後部座席の箱に詰めていた。すると知らないおばあさんが私の車に寄ってきた。私は最初、乗る車をおばあさんが間違えたのかと思った。だが、おばあさんは車をのぞき込み、「あれ、赤ちゃんがいるのかと思った」と残念そうな顔をして車から離れていった。おばあさんの勘違いは私に日だまりのようなやさしさをプレゼントしてくれた。

 私の子どものころは、お嫁さんと赤ちゃんは誰でも見せてもらってよいことになっていたような気がする。道路脇の乳母車で赤ちゃんが泣いていると、道を通る子どもや大人があやしてやったり、赤ちゃんのお母さんを探しにいって赤ちゃんが泣いているのを教えるのが当たり前だった。現在、他人の赤ちゃんが車の中で泣いていても、関心を持つ人は少ない。何時間も車の中で放置されていて脱水症状を起こす赤ちゃんさえいる。世の中が忙し過ぎるのだろうか?

 三十年前、夫の転勤で金沢市に一年間住んでいたころ、長男が生まれた。引っ越したばかりの代用社宅の近くには知り合いもなくて心細かった。幸いなことにお隣の家に実家の母と同じ年のおばあさんがいて、わが家に赤ん坊がいることがわかると、毎日、長男をお風呂に入れてくれたり、お守りをしてくれた。遠い親せきより近くの他人と言うが、まさにそのことわざ通りで助けられありがたかった。

 ここ三十年ほど核家族化が進んでいる日本では中心市街地に住んでいた子育て世代が親の住む家から出て、郊外に家を建てて住むようになった。大型スーパーマーケットや大型書店、診療施設も郊外に移り、都市の中心市街地は中高年者が残される結果になった。商店街も後継者がいない店はシャッターを下ろすか、店をたたみ更地にして駐車場にするところが多い。私は今年の夏、市内で買い物をするつもりで出かけたが必要な品物がまちの中ではそろわないことがわかり驚いた。今のままでは車の運転のできない中高年者や体の不自由な人たちには住みづらいまちになってしまう。私は都市とは高齢者も壮年者も青年も子どもたちも健常者も体の不自由な人も一緒に住み続けられるまちでなければ本当の都市とは言えないと思っている。

 高齢者を高齢者の施設に収容するワンパターンを見直して、例えば、空き家になった住宅を市町村で借り受けてグループハウスとして健康な高齢者のグループの住まいとして提供するとか、児童数の低下で使われていない小学校の校舎の一部を高齢者の住まいや集会施設として使うことを考えたら、子どもたちと高齢者の交流の場になるだろう。お姑(しゅうとめ)さんとお嫁さんの関係は時代が変わっても難しい問題が起こりやすいが、近所のおばあちゃんと若い主婦の関係なら、赤ちゃんを預かってもらうとか、おばあちゃんを車に乗せて買い物に行くとか助け合いができるかもしれない。

(上毛新聞 2002年10月27日掲載)