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◎幼児期に自立心育てて 今から十年ほど前のことだったと思います。当時の文部省が幼稚園の教育要領を改定したのは。 それまでは先生(保母)が、事前に絵を描き、物を作り、それを子供が見て、まねるというもので、「設定保育」といわれました。あらかじめ、保育者がメニューをつくり、子供たちはそれに従って活動して育てられるという保育方法です。 その結果、言われたことしかできない無気力な子供が増えてきたことから、改められたのが「自由保育」といわれるものです。 愛したり、夢を持ったりというような自発的で能動的な能力は、幼児期に決定するといわれているのです。改定はどのようなものだったのでしょう。 新幼稚園教育要領では、「遊びを通して環境で育てる」と改められ、幼稚園の設置基準も変わり、滑り台やブランコ等はつくらなくてもよいことになりました。 当時、宮城教育大学の付属幼稚園の園庭は、あっという間に子供の背丈ほど高い草がボウボウと生え、大変自然な感じになったのでした。子供は、登園してあいさつを済ますと、すぐ園庭に出て一日中思いっきり遊んだのです。 さて、自由保育とはどういうものでしょうか。 実はそのころから、小学校の学級崩壊が目立ちはじめ、この自由保育は、考え直さなければならなくなったのでした。授業中寝そべったり、勝手に教室を出てしまう子供が増えたのは、幼稚園でわがままな子供にしてしまった結果だと考えられ、前のしつける教育に戻すことになってしまったのです。残念です。 私は、この考えは間違っていると考えます。その理由は、自由保育にしたときに幼稚園の先生や親はよい見本になる必要があったからです。よい見本とは大人が子供たちに価値のあるものを尊重し、大切にする姿を見せることなのです。まず誰でも尊敬する人を見つけ礼儀を守ることです。「敬う」とは、金銭では代えられないほどの恩を感じ、感謝することなのです。そして、大人同士で他人を思いやる気持ちをしっかり持ちましょう。環境で育てようというのは、こういうことなのではないでしょうか。 子供に必要な環境とは、伸び伸びと遊べて能動的にかかわれる広々とした自然の空間と、子供によい刺激や影響を与える創造的な大人たちの生き方です。 子供たちの主体性とは発明・発見することだけではなく、大人の生き方をまねし学び取る、自発的な力でもあるのです。したがって、大人は子供の前でお互いに尊敬し合い、良い見本になれば、決して学級崩壊は起こらなかったはずです。 自由保育とは子供を野放し状態に放任することではなく、親や教師である大人が規律ある人間関係をしっかりと確立してこそ正しいのです。 大人自身がいいかげんに生きて、子供だけ枠にはめてしつけようとすれば、立・派・な「建前」と姑・息・(こそく)な「本音」とを使い分ける人間が増えてしまい、子供たちはますます何が本物なのかがわからなくなってしまうでしょう。 (上毛新聞 2002年10月25日掲載) |