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烏川流域森林組合代表理事組合長 原田 惣司さん(倉渕村岩氷)

【略歴】日本大学芸術学部専門部卒。倉渕村教育委員、同議会議員、同消防団長、同収入役などを経て、現在は烏川流域森林組合長、倉渕山岳会長、群馬郡文化協会連絡協議会長などを務める。

森の再生



◎国産材の価値認めよう

 旧盆が近づくと、子供たちは競って山に出かけました。盆飾りの花を取りに行くのが夏休み中の大事な役目だったからです。「山の花でないと、ご先祖さまにはよろこばれないよ」と言われると、今年こそはきれいな花をたくさん集めて、村一番大きな花束を持ち帰るぞ、と張り切って出かけたものでした。ヒメユリ、クルマユリ、オミナエシ、キキョウ、フシグロセンノウ(オゼンバナ)、レンゲショウマ、フジバカマなどが列条のスギの植え込みの中に、色とりどりに咲き、山を一回りすれば抱えきれないほどの花束ができたものです。

 先日、思い出をたどって、あちこちの山を歩いてみましたが、行けども行けども花はおろか、下草さえも生育しない荒涼とした林地が続いていました。密植されて「モヤシ」のように伸びたスギ山には、フジつるが巻き付き、こもれ日の差す所を見上げれば、重い春雪に樹冠を折られて棒だけになった若木が無残な姿で立っています。山は荒れてしまった、と言う実感が胸をしめつけました。

 戦中戦後の乱伐を補うため、昭和三十年代から過度の密植が奨励され、ヘクタール当たり三千本以上植栽した山には、補助金の交付が始められました。植林の経済的効率を高めるため密植して他の植生を早期に抑え、山の持つすべての養分を植栽木に集中させて、節の少ない木をつくることを狙った施策でした。

 これまで、このあたりの山間地では、昔からの経験からヘクタール当たり千五百本程度が適正本数とされていましたが、多くの人が補助金に釣られて密植栽培に切り替えたのです。しかし、この保育方法で健全な森を育てるためには、早期に除・間伐を繰り返すことが必要でありました。だが、多くの林家はそれを行うことができませんでした。山村の習慣から、苦労して育てた木はたとえ細い木でも無駄に切り捨てたくない、という心理が強くあったからです。確かに以前はかまの柄ほどの太さになると、木はすべて有効に利用されていました。

 しかし、バブル期になってからは、これらの小径の木材はほとんど使われなくなってしまったのです。農業と連動してサイクルを維持してきた小規模林業は孤立無援、農業経営とも結びつかなくなった山林は、ついに放置される羽目となってしまったのです。

 今、国や県の補助事業によって、荒廃した山林を再びよみがえらせるためのさまざまな施策が行われています。昨年成立した「森林 林業基本法」に基づき、県でも森林政策ビジョンが発表されました。ぜひとも将来に夢を託したいと願っております。林業が業として再び成り立つとき、森が持続され、循環が始まり、人との共生がなされ、望ましい森林環境がつくり上げられるものと思います。それは慈しみ育てられた日本の木が、日本の社会でその価値が認められて、多く使用されることから始まると思います。

 今や外国産材は国内シェアの八割を超える勢いで輸入されており、中には外国での盗伐や不法伐採も含まれていると聞きます。日本の森の再生のために、国産材時代の到来を待ち望んでいます。

(上毛新聞 2002年10月2日掲載)