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詩人・邑楽町立図書館長 長谷川 安衛さん(邑楽町中野)

【略歴】群馬大教育学部卒業後、教職に就く。在学中より詩作を始め、詩集などの著書多数。日本現代詩人会、群馬県文学会議、群馬ペンクラブなどに所属。94年から同図書館長。

伊藤信吉さんの無念



◎「大逆事件」出版に情熱

 八月三日朝、伊藤信吉さんの訃報に接してがくぜんとした。九十五歳になられてもなお現役で立派な仕事をされているということへの感嘆と畏敬(いけい)の念はあっても、いなくなってしまうというようなことは実感としてはなかった。入院されておられることは承知していたが、暑さが和らぐころにはお元気な姿に接することができるものとばかり思っていた。

 伊藤さんの逝去が報じられた新聞等には、『群馬文学全集』の完結を目前にして逝かれたことなどへの「無念」がいろいろな方によって語られていた。私もまったく同感であるが、誰にも触れられていなかった伊藤さんの、あと一つの「無念」についてここに書きしるしておきたいと思う。

 二十年近く前になるが、太田市へ講演に来ていただいたとき、翌日栃木県佐野市へ調査に行かれるというので、案内役としてお供をさせていただいたことがあった。明治四十一年に平民新聞の読者会であった両毛同志会の第二回大会が開かれた大雲寺での聞き取りの調査であったが、その後邑楽町秋妻(大杉栄などが来て両毛同志会の第一回大会が開かれた)の築比地正司さんのお宅で、父親である仲助翁についてのお話を伺ったのだが、帰り際に正司さんが描いたたくさんの絵を一緒に見せていただいた。正司さんがご自分の絵をまとめて他人に見せたのは初めてだったのではないだろうか。

 そんなことがモチベーションともなっていて、私は後に、非公開となっていた築比地家の文書を『築比地仲助翁 幸徳秋水事件関連資料集』としてまとめ出版することにもなったのだが、伊藤さんは資料として助けになるととても喜んでくださった。

 一九一〇年の「大逆事件」とそれに連なる群馬の関係者たちについての調査は、随分前から進められておられたようである。ちなみに、六〇年に「大逆事件の落穂」を雑誌に発表し、「上州大逆事件の歌人」と題して坂梨春水とその周辺のことを雑誌「短歌」に連載したのは、七九年六月号から翌年一月号までであるが、「第一章 上州・一九一〇年秋」で書き始められ、「一九一〇年秋は、明治末期における上州社会主義壊滅のときであった」という文で締めくくられている。

 私がときどき文学館の館長室のソファで、いつも伊藤さんの右側に並んで腰掛けさせていただいて話したことは、これらにかかわることが多かったのだが、あるときいただいた手紙に、次のようなことが書かれていた。それは、いつか『大逆事件 群馬の秋』という本を出版したいと考えているというものであった。特に私の胸に重く残っているのは「こうした本は出版社では出してくれないだろうから自費出版で出したい」と書かれていたことである。

 伊藤さんが自費を投じてでも出版したいという願いをもって、長い時間をかけて調査していたものが、出版にいたらなかったことは、伊藤さんにとっては極めて無念なことであったに違いない。大逆事件と群馬とのかかわりについての調査は、伊藤さんの側面などではなく、正面向いて取り組んでいたことだと私は考えているので、伊藤さんのあと一つ無念を身に染みて感じている。

(上毛新聞 2002年9月24日掲載)