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◎団結し遊水地化を阻止 この夏の酷暑は、かつてないほどに耐えがたい厳しさがありました。温暖化による自然の凶暴化を食い止めなければ、生命の危機が迫ってきているように思われます。それにも増して、社会現象の劣悪化にはひどいものがあります。雪印から日本ハム、そして東京電力による原発トラブル隠しにいたっては、戦慄(せんりつ)すら覚えます。 でも、私のかかわっていることで、良いこともあります。八月六日、栃木県小山市で開かれた「渡良瀬遊水地総合開発(2期)事業審議委員会」で、「特定多目的ダム事業としての同事業を中止し、治水については別途検討することが妥当である」との答申が、国交省関東地方整備局に出されたのです。私たちが「渡良瀬遊水地を守る利根川流域住民協議会」を結成して、これに反対し続けて十年余になりました。 そして八月二十八日、関東地方整備局は正式に事業の中止を決定、遊水地の自然は守られることになりました。これは、群馬・長野・熊本等々ダム建設問題で揺れているところに、影響を及ぼすのではないでしょうか。 ちょうど百年前にも同様な問題が発生し、反対運動に成功した、素晴らしい事例があります。そのことを、私たちは第三十回渡良瀬川鉱害シンポジウムで学びあいました。八月二十五日、埼玉県北川辺町の体育館に集まり、紙芝居「田中正造と北川辺」、うた「正翁の詩」、朗読劇「二ケ村運動美事(みごと)」など多彩な催し物もあって、緊迫した討議とともに、有意義に終わりました。 百年前、北川辺(当時は利島・川辺の二村)は、内務省の方針で廃村↓遊水地化されようとしました。それを、田中正造の指導と相愛会(青年中心の鉱毒議会利島版)を核とする団結で阻止したのです。足尾鉱毒事件の「終末期」で、あまり知られていない事件です。「谷中村滅亡史」で知られる悲劇の村とちがい、見事に勝利したのですから、鉱毒事件史、ひいては日本近代史に書き加えられるべき、輝かしい住民運動でした。 利根川決壊口の火打沼で、両村民大会を開き、警官隊の見張る中で、 「堤防は自力で修築する。その代わり、納税・徴兵の二大義務は放棄する」 と決議し、県庁・国会・諸官庁に迫ったのです。正造は、それを被害地全域に働きかけました。日英同盟を締結した政府は、日露開戦を志向するための障害となるのを恐れたのでしょうか。埼玉県知事が「よんどころなく修理する」と県議会に予算を提出し、遊水地化は谷中村に絞られていくのでした。 正造が「二ケ村運動美事」と賞賛した、この事件は、記録もほとんどされず、顧みられませんでしたが、最近、地元でも掘り起こしが始まっています。今回のシンポは、それに拍車をかけると思います。正造の声が、思想が、徐々に確実に広がっていることと感じとっています。 (上毛新聞 2002年9月21日掲載) |