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◎少ないサービス提供量 高齢者介護問題も介護保険制度の導入によって、利用する権利として国民の意識は少しずつ変化してきているが、家庭において「嫁や配偶者」だけでの介護は虐待も含め、介護者自身の生活破たんというケースも発生することが頻繁にある。ではなぜ、公的な福祉サービスすら使わず、このようなことが起こるのか考えてみたい。 ある相談ケースである。相談者(介護者本人)は九十六歳の寝たきりの姑(しゅうとめ)をかかえ、夫と三人で生活している。介護のほとんどが「嫁」である相談者一人が行っており、精神的にも身体的にも、いつ介護者が介護を受ける側になってもおかしくないケースであった。訴えによると、介護者自身が転んで手首を骨折した時でも片手で介護をし続けなくてはいけない状態であり、またそれが嫁として当たり前のように思われている地域だそうである。介護者本人も七十二歳であり緊急性を感じたため、福祉制度の積極的利用を促した。しかし、答えは「ヘルパーさんに来てもらったり、施設に入れたら面倒見が悪い嫁だとか、追い出したとか、親せきや近所から思われるのが耐えられないから、我慢するしかねえんだよ」と現実の話になってしまった。介護者が七十二歳、まさに、今に言う「老老介護」である。 長寿を誰もが望み、日本は世界一の長寿国となった。しかし、イコール「幸せ」であるかが問題である。日本の社会保障は憲法第二五条の「生存権」を基本に組み立てられ、最低限度の生活は国家が保障するという基本的な考えから誕生した。言うならば救貧政策であり、政府が生活困窮者に対する制度であり、行政処分の対象者であった。結果、福祉制度を利用する人は「特定の人」であるという「スティグマ」が長年にわたり国民に染み付いてしまい、福祉利用の障害となったことも大きな理由として挙げられよう。いわゆる「お上のお世話にはなりたくない」という感情は、このような意識が潜在的に残ってしまったことからきているとも考えられる。さらに大きな要因として、介護の役目は「嫁」がして当然であるという風潮が、女性の地位の問題などから定着していたことも挙げられよう。 現在、高齢者介護の問題は、生活に困窮した人「特定の人」の問題だけではなくなったのである。高齢社会を迎えた、わが国において、社会福祉が広義の意味で国の定める社会保障の位置だけにとどまらず、国民全体の幸福を考え、介護問題は誰もが抱える可能性のある普遍的な課題と考えなくてはいけなくなったのである。社会保険方式の契約による介護保険制度ができ、国民の福祉への意識変化が生まれたがまだまだ情報不足もある。 福祉の歴史上からくる偏見、家族介護のあり方などの意識改革、さまざまな解決されるべき課題が山積みしている。現在、県内だけで特別養護老人ホームの待機者が五千人ともいわれている。介護の社会化を本当に実現し、要介護者の尊厳ある生活や自己実現を可能にするには、施設サービス等まだまだサービス提供量が少なすぎる。ハード面の整備と介護に対する社会的理解のソフト面の両輪が同時進行しなければ、高齢者介護の問題は解決できない課題であると考える。 (上毛新聞 2002年9月18日掲載) |