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吾妻郡東村長 唐澤 保八郎さん(吾妻・東村五町田)

【略歴】高崎短大卒。昭和29年より37年間、吾妻郡内の幼稚園、小・中学校の教育職員を務める。平成11年4月より東村長に就任。現在1期3年目。

効果算定



◎環境整備は僻地の悲願

 「最少の費用をもって最大の効果」は経済原則である。行政における公共事業投資もその枠外でない。否、貴い財源であればこそ一層の吟味が必要である。

 ただ、ここで効果なるものの算出基礎に、もう少し将来を見通した考え方の転換を図る必要があるのではないか、と思われてならないのである。

 現状の効果算定における受益人口数とか、面積とか、生産物、流通度合い、活用頻度等々をもって効果を数値化し、その大小を問い、これをもって事業化の取捨が行われるとするならば、均衡ある国土の構築(将来を見通した公共事業)という観点から大きな疑念を抱くのは、私一人のみでないと思うのである。

 なぜならば、そこに表れた数値は理路整然とし、数字のマジックにとらわれ、そこに異をさしはさむ余地はない。しかし、おらが村のそこに橋が架かるならば、道路が一本開けるならば、現時点では都会のそれに比べ、そこを通る人や車の数が少なくとも、日本の国土、文化を心底で支えている山間僻(へき)地の活気、それより何より将来都会から田舎へ移住(経済優先から人間性優先の社会の到来にそう時間はかからないような気がするし、従って現今の一極集中から地方分散の的を外れた論ではない)が現実のものとなった時、効果算定の基礎から漏れている地方の、インフラともいえる公共事業の成果が間違いなかったものと評価されるであろうからである。

 ものの本によると、世界の文明の発祥の地として栄えた四大文明地域も、時代とともに衰頽したのは山川の荒廃にあったと伝えている。現状の費用対効果なるものをもって公共事業の取捨が続くならば、目の前の山を川を眺めるとき、わが国もその轍(てつ)を踏む思い一層なるものがある。どうも、現状の公共事業における費用対効果の算定方式でいくと、わが村のような山間僻地(今はこう表現されるが、将来は人間が人間らしく暮らす環境基盤となる)には、未来永劫(えいごう)に新しい橋も、道路も、望めそうもないような、悲観的な思いが先行してしまうのである。

 地方における架橋の要望、新しい道路の要求も、その自治体にとっては生活基盤整備の上での悲願なのである。再度繰り返すが、この生活基盤整備は自治体にとっての単なる悲願でなしに、わが国の将来を見通したときの基盤整備に間違いなく継がると確信する。一定の数値化をもって、当面の説得力をもつ現状の費用対効果なるものをもって公共事業の優先順位を決める手法に、わが国の未来(そう遠くない)社会を念頭に入れた改革を図ることを熱望したい。

(上毛新聞 2002年9月17日掲載)