視点 オピニオン21
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言語聴覚士(スピーチセラピスト)
津久井 美佳 さん
(埼玉県さいたま市 )

【略歴】渋川市出身。国際医療福祉大保健学部・言語聴覚障害学科卒。99年、言語聴覚士資格を取得し、国で初めての言語聴覚士の一人となる。同年から病院に勤務。

パソコン



◎記録を通し今を考える

記憶と記録。辞書的な意味は、記憶=過去に経験したことや覚えたことを、時間がたった後でも、大体そのとおりに思い出せること。記録=後々まで、残すべき事柄を書き下ろすこと。

 先日、私の不注意で、パソコンが壊れた。電気製品は、やはり水に弱い。私は、パソコンのデータのバックアップをまったくしていなかったため、すべての情報は消えた。ここ何年かのたわいもない記録が、私の記憶が、思い出が、封印されてしまうのを感じた。半狂乱になりそうだった。何度、電源を入れても立ち上がらないパソコンを前に、涙がでた。

 こんなにもあっけなく、過去は消えてしまうのだろうか? 私の頭の中には、大まかなことは、残っているのに、その詳細は、思い出せない。友人が「思い出は消えないよ!」と言って励ましてはくれたものの、私の思いは、煮え切らなかった。私は、思い出よりも、明確な、詳細な記録が欲しかった。自分で作成した文章やメールを、もう一度見たかった。詳細な記録をストックしておけない自分の脳に、いら立ちを覚えた。変化してしまわない記録が欲しかった。人には、パソコンのように膨大な量の情報を、そのまま保存しておいて、いつでも適切に必要な個所だけを取り出して、再生することなどできない。

 私は、ふと、毎日、接している失語症や痴呆(ほう)の患者さんのことを思った(患者さんの心の痛みを、少し垣間見たような気さえした)。私は、ある意味、記憶を取り戻すリハビリを、患者さんに対して行っている。一度、脳損傷によって壊された機能を、残存する脳の部位を賦活させながら、言葉と脳の壊れかけたアクセスルートを再構築する。そのようなことを目標にして、リハビリを行っている。

 そう考えれば、ある意味、人間の脳というものは、すばらしい。パソコンと違い、○(ゼロ)か一(いち)ではない。無か有でもない。まだ、復活・復元できる能力を持ちえている。

 そんな折、とりあえずつけておいたテレビのある言葉に、私は耳を奪われた。筑紫哲也のニュース番組で、養老孟司先生が口にしていた言葉だった。「万物は流転する」(ヘラクレイトス)。また、偶然、本屋をふらついていると、“考える人”という雑誌が目に留まった。そこには、養老先生の上記の一文の意味が、詳しく掲載されていた。

 「情報は、変化しない。書かれた文字、話された言葉も変化しない。しかし、それを語った人は、同じ言葉をまったく同様に語ることができない。人は、人という生きたシステムは、ただひたすら変化する。情報は不変だが、にもかかわらず万物は流転する。だから、言葉は残っても、ヘラクレイトスは死に、もういない」

 「百年後に今日のニュースを見ることはできる。ただし、そのニュースを話しているアナウンサーを見ることはできない」

 「つまり、それが情報と“人という動いているシステム”の根本的な違いである」

 と、記されてあった。

 ようやく、私の頭の中が晴れ、まとまっていくのを感じた。もちろん、私も、パソコンで作成した文章を、毎回、同じ思いで、読み返しはしない。むしろ、私は、その時、その時の自分を省みる、自己修正ツールとして、詳細な記録を欲していたのだとわかった。つまり、私は、過去の記録を通して、“今―現在”を考えていきたいのだと思う。また、私は、機械ではなく、常に変化し、よりよく変わっていける存在=人間なのだと、あらためて思った。

(上毛新聞 2002年8月18日掲載)