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◎廃棄が当たり前の文化 最近、給食牛乳の飲み残しが増えているそうです。全国で一年間に二百CC瓶で約一億七千六百万本もの量が廃棄処分されています。昭和二十九(一九五四)年六月に学校給食法が制定され、三十三年一月には当時の文部省より「学校給食用牛乳取扱要領」が通知されて、学校給食に牛乳が供給されるようになりました。学校給食の歴史は変遷しますが、今年三月、中央紙が次のように報じていました。「大阪府は給食用牛乳の廃棄について調査し、それによると、府内千二百三十九校が給食で牛乳を出し、一日約五十五万本となる。○一年六月から九月の調査では毎日約二万本がまったく飲まれないままに回収されていた。二万本は乳牛二百頭の一日の搾乳量にあたる」 五十年ほど前、給食はごちそうでもありましたが、あのころの脱脂粉乳はあまりいただけなく、飲み切るのに随分時間がかかったものです。 理屈っぽく言えば、多くの動物は、本能的に限られた範囲のものしか食べません。それに比べて、人種によっても違いますが、人間の食べ物は工夫され驚くほど多種多様です。しかし、多様な食物のなかで本来食べられるために生まれるものは、哺(ほ)乳類の乳や果実くらいでしょう。 植物学的には米は稲が子孫を残す種子として作ったもので、食べられるために実をつけた訳ではないでしょう。同じ様に卵も、次世代に命をつなげるもので、肉や魚にいたっては、動物や魚類の体自身で、人に食われるために生まれたものではないはずです。果物は、動物に食べてもらうことによって、種をばらまき子孫を残すために食物自身が作ったものです。昆虫や動物を誘惑するようにおいしく作られています。 牛乳については加工によって好き嫌いがあり、アレルギー等体質的にダメな方もいます。飲み残しや余剰牛乳は廃棄され、それが、貴重な生乳の無駄遣いにつながっていると思います。「まだ飲めるのに!」 そして廃棄には随分たくさんの水が必要となります。静岡県下水道公社のデータによると、コイやフナがすめるようにするために牛乳二百CC当たり水三千リットル(風呂おけ三百リットルとして十杯)以上が必要だそうです。 コンビニが生ごみを堆(たい)肥にする工場を作りました。コンビニで売られている弁当が売れ残り、それをそのまま廃棄するので生ごみになるのだといいます。「食べきれないから捨てる」というのは、現在の日本の食文化ではさも当たり前のように行われています。このような無駄を堆肥に変換する工場を作り、その堆肥が畑にまかれて作物になり、育ってまた弁当になる。一見素晴らしいことのようですが、昨今の経済成長の象徴のような気がしてなりません。 輸入野菜の農薬問題や食肉業界のこととか流通が優先する中、今さらながら地元でとれた食物資源を使うのが一番安全でおいしいという当たり前のことに気が付くのです。前橋市内の児童公園の中に赤城牧場跡の石碑があります。萩原朔太郎の詩の中にも出てきますが、かつて放牧して乳を搾っていたのでしょうか。 (上毛新聞 2002年8月16日掲載) |