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◎昔の人の心が伝わる 山や谷、岩や滝などの自然物に付けられた名前には、なるほどとうなずける面白いものがたくさんあります。たぶん名もない杣人(そまびと)が呼び親しんでいたものがいつか土地の人々に伝えられ、その名前が広まったものだと思いますが、最初に名付けた人の素朴な感情がうかがえて楽しいものです。 例えば「どんどこ沢」です。連続して落ちる滝の音が山にこだまして、どんどこ、どんどこと聞こえます。また「うつくし」は打ち越しがなまったといわれますが、このような所はきまって美しい眺めの峠状の地形があります。 「どろめきの頭」は、ぞろぞろと崩壊の続く山という意味があるそうですが、別名を「雨ん坊主」と呼ばれます。他にもよくある山名ですが一定の地域の天気予報に役立っており、この山に雲がかかると、間もなく里に雨が降るといわれています。雨上りに霧が晴れる時、ドーム状の山頂が海から浮かび上がった大入道のように見えるのです。 このほか、「沢にんば」は炭や木材を集積しやすい沢であるとか、「笹蒔山(ささどややま)」は小笹の中で鳥が営巣してひなをかえす所、というように場所の機能を表す名前も付けられております。 これらの名前は文字で残されることなく、多くは言葉で伝えられてきたので、無理に漢字を当てはめようとすると、本来の意味がなくなってしまったり、違った方向に解釈されてしまうことが良くあります。 その良い例が白馬岳ではないでしょうか。雪形によって名付けられた元の意味は山腹に現れる黒い(岩)馬形が出ると麓(ふもと)では代掻(しろか)きを始める時期を知らせてくれるという意味の代馬岳がいつか白馬岳となり、やがてはハクバ岳となってしまったのです。 また、仏教の聖地フダラク山が二荒と漢字で表され二荒がニコウと読まれて日光となったという話も聞きましたが、本来地名や山名は昔の人の心を伝える文化遺産の一つではないかと思います。心して残す努力をしないと、時代によって変わり、また都合の良い方向に変えられることもあるのです。言葉で伝え聞いたものに無理に漢字を当てはめようとすることは大変危険なことです。 私には今だに心に残る失敗があります。若いころ土地の古老に「きりのきぼり」という沢の名を言葉で教えていただきました。「字は」と聞くと、「桐の木に似た木でもあったのかな」と笑って答えてくれました、その後ある会報に「桐の木堀沢」と書いてしまったのです。それから多くの人がこの文字を使うようになり、やがてこの沢に桐の木が生えていると誤解されるようになったのです。私はこの沢に何度か通い、本当の意味が分かるようになりました。南東に深くえぐられたこの沢は上部を鬱蒼(うっそう)とした木々に覆われ、大小の連なる滝が冷たい水しぶきを上げています。雨上がりには必ずといってよいほどこの沢から狭霧(さぎり)が立ち上り沢床は霧に包まれます。いつも霧の気が感じられる沢、これが古老から言葉で聞いた「きりのきぼり」の正体なのかと思うと、桐の木と書いたことが恥ずかしく機会あるごとに訳を話して訂正を願っているのです。 (上毛新聞 2002年8月9日掲載) |