視点 オピニオン21
 ■raijinトップ ■上毛新聞ニュース 
映像演出家 桜井 彰生 さん(東京都墨田区緑町)

【略歴】前橋市出身。新島学園高、早稲田大卒。記録映像作家として医療、介護などをテーマにドキュメンタリー作品を演出。文化庁奨励賞、国際産業映画ビデオ祭奨励賞、同経団連賞金賞を受賞。

セリカルチャー 



◎絹の文化を支える根幹

 天蚕の卵、つまり山繭蛾(が)の卵をクヌギの木の枝に付けてから約一カ月半、野生の蚕は五齢に成長し、体長約七センチ、体重約二○グラムほどになりました。体の表面は節くれ立ち、毛蚕の時と同様、背中に毛が生えていますが、表面はすき通った薄緑色で、太陽が当たると一層美しさを増します。

 節くれ立った体は、クヌギやナラの葉の擬態となっています。葉を食べ終えて満腹状態で枝からぶら下がっていると、葉と区別がつかず、どこにいるのか見つけるのに苦労します。体の銀色のラインも葉脈に見えるのです。その五齢の天蚕が繭を作るありさまを、私たちはつぶさに映像で記録することができました。

 ある日の夕刻、蚕が急に活発に動き出し、枝から枝へと渡り歩き始めました。えさとなる葉には目もとめず、まるで何かを探しているようです。そう、繭を作る最適の場所を探していたのです。場所が決まると、今度は繭床となる葉と屋根となる葉とをつなぎ合わせます。粘着力の強い糸を吐き一枚から三枚の葉を引き寄せるのです。葉は、まるでロープを掛けられたかのようにたぐり寄せられます。葉の根元も糸でしっかりと固定します。床と屋根ができるとすっぽりとその家の中に入り、いよいよ繭を作り始めます。

 繭の作り方は養蚕の蚕と変わりませんが、内側へ内側へと糸を吐き固めていくうちに、次第に緑色が目立つようになってきます。こうして約二十時間、緑色の葉の家の中に薄緑色の繭が完成します。誰に見せても「きれいだね」と感心する美しさです。葉の家の中で野生の蚕は蛾になるまで生き抜くのです。風雨にたえられる家をつくるのは、まさに自分の命を守るためです。

 人間はこの美しい繭を収穫し、薄緑色の絹糸にするのです。一枚の着物を作るのに約一万個の天蚕の繭が必要です。すなわち、一万匹の野生の蚕の命が込められているわけです。人間はそれを恵みとし、絹の文化も生み出されてきました。養蚕や天蚕は、絹の文化を支える根幹です。そしてそこには、長年の経験に基づいた確かな技術があります。

 群馬県でただ一人大がかりな天蚕をなさっている中之条の戸坂昭夫さんの苦心は、並大抵ではありません。やわらかくおいしいクヌギの葉を繁らせ、天敵や病気から蚕を守らねばならないのです。自然に近い状態で飼育する天蚕ですが、人間が手助けすることで、より良質の繭ができるのです。これは自然の生き物にかかわるすべての業に共通です。

 英語やフランス語圏では農業をアグリカルチャー、養蚕をセリカルチャーと言います。アグリ、畑を、セリ、絹を、カルチャー、耕す、育成するという意味です。そしてカルチャーという言葉には技術や人間性を深める、さらには文化という意味もあります。養蚕、セリカルチャーという言葉は、養蚕業を単なる衰退しつつある産業としてではなく、その技術こそ絹の文化を生み出すものとして、より大きな尊敬の念と共に再認識されるべきだ、と示唆していると考えます。

(上毛新聞 2002年8月4日掲載)