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上智大学文学部助教授 瀬間正之さん(高崎市台新田町 )

【略歴】高崎高校卒。上智大、同大学院修了。86年、ノートルダム清心女子大を経て、99年より現職。専攻は、古事記、日本書紀、風土記のほか、金石文、木簡など。古事記学会、上代文学会理事。

地名の改変



◎地域文化の崩壊にも

 高崎と前橋の合併が遂に本格的な話題となった。二〇〇五年三月までに実現すれば、合併特例債五百六億円が受けられるという。また、万場町と中里村は合併後、神流町となるという。他地域での合併話も進められている。合併となれば、地名の改変は必然である。地名には歴史があり、地名そのものがその地域の文化でもある。安易な改名は地域文化の崩壊につながりかねない。本県で最も古い記録に残る地名「佐野」が、万葉集や能という文化にその名をとどめながら、千三百年以上の歴史を刻み、今でも高崎市の小地名としてかろうじて残されていることは、むしろ奇跡的なことであるかもしれない。

 群馬は「車(くるま)」であった。和銅六(七一三)年五月、元明天皇はいわゆる「風土記撰進の詔」を発令する。その中の一つに「好字政策」というものがあった。地名を縁起の良い字二文字で表記せよという詔である。記録上、わが国で最初の地名に関する行政指導である。上毛野国は、印象の悪い字「毛」を脱落させて「上野」の二字表記となった。「毛」は抜けたものの読みは「かみつけの」と「け」を含んでいる。これを学生には不完全脱毛の事例として教えている。

 前の月の四月にも、こうした政策は始められていたようで、この月新たに国となった「美作」(みまさか)は、「美」(み)「作」(さか)の二字表記であり、「ま」に相当する漢字を抜いている。これを講義の際「まぬけ」改革と教えている。この政策は、地名本来の意味を不明確にしたばかりか、多くの難読地名を生んだ。

 同じ政策によって、一字で書かれていた「車」も二字表記「群馬」となる。「群」の字の末尾の音はnであるが、これをrにあてるのは、「平群」(へぐり)「敦賀」(つるが)の「群」「敦」と同様である。したがって「群馬」と書いても、本来は「くるま」と読むべきであったと思われる。本県の名称の由来を馬と関連づけるのは後の牽(けん)強付会である。

 地名表記には文字政策も反映される。「美袋」は「みたい」ではなく「みなぎ」と読む。「袋」をどうして「なぎ」と読めるのか。「なぎ」の音を表していた難読字「嚢」を、同じく「ふくろ」を意味する「袋」に換えた誰にも読めないミタイな例である。

 樺太(からふと)と言えば、日本のように聞こえるが、サハリンと呼べば異国のようである。地名は、絶えず時の政策によって、本来持っていた意味を失っていく。ただし、和銅六年の詔の中には、地名の命名の由来を記録して朝廷に差し出せとの命令も含まれていることも忘れてはならない。時の朝廷が地名の由来を記録保存し、その上で地名表記を変革しようとしたことは評価される。

 合併・改名は、地名に象徴される文化を犠牲にしてまでも遂行するべき積極的な理由を金と効率の価値観以外にも求め得て、初めて実現されるものでなくてはならないだろう。


(上毛新聞 2002年7月25日掲載)