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◎若い年代に鉱脈が存在 雑誌「世界」の六月号が「総合学習、大丈夫?」なる特集を組んでいた。従来の詰め込み画一教育の反省の上に立って、生徒の自主性を生かしたグールプ学習による、しかも学校の枠をこえて、地域社会も視野に入れての新しい学習実験が、今年から十年の期間を目標に始められていることに、関心を抱いた。 そこへ地元の富岡中学校から、ボランティア・スクールで詩の教室をやりたいので、担当してくれと依頼があった。総合学習の一端かと思い引き受けることにした。九人の生徒が相手で、四回四時間の予定だという。超高齢者と中学生という取り合わせに、多少の不安があったが、とにかくやってみることになった。 まず最初の日は、詩を読む楽しさをと、地元の農民詩人の故高橋辰二の詩や、大阪の浅田恵子さんが本にされている吹田中学の生徒の作品、萩原朔太郎の「旅上」などをコピーして、それを回し読みで朗読して楽しんだ。 次の日は「詩とは何か」を具体的に説明した。人間の心の記録であるが、詩として作品に整えるための基本を、なるべく分かりやすく話した。リズムとか起承転結など、中学生には難しいかなと思いながら。 実際に詩を作るには、特別の事件をテーマに据える場合と、日常生活の中で心を澄ませて、感動や発見を言葉に表現すること、さらに人間として生きていることの喜びはそのまま詩になると、実際の作品を引用しながら話した。 例えば草津の栗生詩話会の詩人たちや、特に桜井哲夫さんの作品や詩人像などを話した。この時点で学校側の担当の星野先生が、四回を一回増やして五時間に延ばす配慮をしてくれた。そして最後に生徒たちに詩を書いてほしいと注文をしたところ、全員が原稿を出してくれた。もちろん初歩的なものだが、詩が好きでグループに集まった生徒たちである。「自分の心を素直に言葉に表現する」という原則を守って、原稿を書いたのである。中にははっきり才能のうかがえる作品もあり、多少手直しすると、一応詩らしい作品になった。それを《富中詩の教室 詩集》としてワープロ打ちで小詩集に仕上げた。自分の書いたものが最初の活字体になるのはうれしいものだ。小詩集を分け合って詩のグループ学習の打ち上げになった。 富岡中学校では総合学習の実験を始めていて、その内容を高木校長さんからも聞いた。この詩のグループ学習もその一環ということであった。総合学習はうまく生かされると日本の教育を変えられる可能性があると聞く。 私自身は詩を書いていて、現代詩が市民権を失っていて、特に若い年代の後継者のいないことにいら立ちがあった。しかし今度の体験で、はっきり鉱脈は存在することが確かめられた。若い世代の人たちも読んで書いて詩を愛してくれる。それを教育の現場で確かめられたことは、貴重な体験であった。 (上毛新聞 2002年7月24日掲載) |