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◎何もしない過ごし方も 前回(五月二十五日付)の仮予告を大きく裏切って今回は「夏休み」について。 一年で最も長期の休みが取れるこの季節が近づくと、うきうきしながら「夏休みの過ごし方」を思い描き、手帳と相談しながら空欄を埋め始め、充実した休みを送ろうと心がける。社会人になってからはお盆や連休と結びつけていかに長く休むかという努力も加わる。これは小学校時代はたまた幼稚園時代から培われた習慣であるので、何もない(学校、会社がない)休みにしっかり計画を立て、予定通りメニューを消化した結果、充実した休みとしてお土産(宿題)とともに職場(クラス担任)に報告する図式が自然と身に付いているのである。 だから予定がないと(絵日記が描けないと)焦り、逆に予定がびっしりだと何だか得をした(花マルをもらった)気分にもなった。でも私にとって、これはつめこみ教育の悪い副産物だったかもしれない。計画を立てるのは一日の生活のリズムを壊さないためであって「何かをしろ!」ということではない。分かってはいたが、身に付いた習慣は悲しいかな、なかなか直らなかった。旅先に出てもしかり。観光の名のもと、足が棒になるまで朝から晩まであちこち見て歩き、やっぱり得をした気分になっていた。「何もしないで過ごす休日」や「旅先で何もしない」という過ごし方を心から楽しめるようになったのは、実はここ最近。 このような旅先での日本人の過ごし方は、よく欧米人と比較されて論じられる。社会の仕組みの違いもあるので欧米人のバケーションをまねた方がいいとは言い難いが、「リゾート」の意味通り、心と体の保養をするのは、忙しい日常に備える意味で正解だろう。最近では癒やしブームで、旅先での過ごし方も変わってきている。 特に群馬県は温泉や自然がいっぱいなので、癒やされる要素が盛りだくさん。私はそれを「群馬セラピー」と言っているのだが、特別遠くへ出かけなくても、お財布と相談しながら地元でお気に入りの場所、人、食べ物を再発見。ひっそりと存在している本物のそれらを見つけ、体験する醍醐味(だいごみ)を満喫してほしい。 欧米人のバケーションは、日本でいう正月休みととらえ方が似ているという。実家で過ごすか、避暑地(避寒地)で過ごすか違いはあるが、よくよく振り返れば、日本人の正月休みは何もせず家族とのんびりミカンでも食べながら会話を楽しむことが多い。寝正月が許されているので、休み明けにお土産を持っていかなくても誰からも批判されない。日本人もこういう過ごし方をしていたのだ。 何もしないというのは無目的だということではない。心の余裕を取り戻し、情緒をはぐくむ。許されるだけ自然や芸術に触れ、心が元気になる。でも個人の実体験は限られてくるので、それを補う読書もたくさんしてほしい。豊かな人生を送るために、自分にとっての夏休みはどうあるべきか、あらためて考える休みというのはいかがだろう。 (上毛新聞 2002年7月18日掲載) |