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◎再生するための仕掛け テケテンツク、ステツク、テンツクツ。 「にんば」の響きが桐生本町一丁目の古い町並みに響く。おはやし連の練習にも熱がはいる。八月二、三、四日の週末が本番。桐生八坂祭典の季節がやってきた。 町会長も子どものころに練習したのだという。指導に当たる木村さんも大川さんも経験者。笛師の和田先生も、子どものころから身につけてきた技術なのだという。だれから教えてもらったかといえば、お父さんやおじいさん。お父さんやおじいさんをどこまでさかのぼれるかといえば、江戸時代。おはやしは二百五十年ほどの長きにわたって、この桐生の人々みんなの手で伝えられ、磨かれてきたのだ。 とはいえ、おはやしの歴史はなめらかにつながってきたわけではない。むしろ消滅のピンチにすら臨んでいたのである。 そもそも桐生祇園囃子(ぎおんばやし)は桐生八坂祭典のための「なりもの」である。そして、桐生八坂祭典を江戸時代かられんめんと受け継いできたのは、現在の本町一丁目から六丁目までの六町会に横山町を加えたコミュニティーである。そして、コミュニティーとは、成長もすれば年もとる。つまり変化する。 桐生だけではない。日本の伝統的コミュニティーは少なくともこの五十年間で大きく変化してしまった。八坂祭典やおはやしを取り巻く環境も大きく変わった。子どもたちは地域のおとなから、ものを教えてもらったり、一緒にひとつの祭りを盛り上げたり、しかられたり、「ありがとうございます」と大きな声でいったり、とそんな機会がぐんと少なくなった。おとなたちは、子どもたちに誇れる技術も美意識も、経済活動を優先しているうちに、どこかに置き忘れてきてしまったようだ。わが「おはやし」の存続のピンチは、この国のコミュニティーの変容がもたらした宿命として全国的に生まれているいろんなピンチの、そのひとつなのであろう(読者の皆さんの地域にもそんな問題、ありませんか)。 さて、このままでよいのか。そこで、きもいりが立ち上がり、桐生祇園おはやし連の結成を桐生全市に呼びかけたのである。 希望はあった。桐生本町四丁目の子ども会が、伝統の演奏技術を孤軍奮闘、引き継ぎ続けてきたのだった。はせ参じた有志と地域の小学生たちの前で先輩(子ども会の小学生・中学生)が演奏してくれたときの立派だったこと。それ以来、確実に仲間も増え、演奏の機会にも多く恵まれ、わたしたちは四年目を迎える。 テケテンツク、ステツク、テンツクツ。 こんな縦書き表記の「地口」に血が流れ、音が立ち上がるとき、忘れかけていたコミュニティーもまた、新たなかたちで息を吹き返そうとしているのだ。そして、そのエネルギーをさらに未来に豊かにつなげようとしたとき、受け継がれてきた先人たちの仕掛けが、まさしく「ものをいう」。伝統とは、わたしたちを再生するための仕掛けにほかならないのではないか。それを学ぶ季節が巡ってきた。 (上毛新聞 2002年7月7日掲載) |