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対照言語学者・ブリッジポート大学客員教授
 須藤宜 さん
(高崎市上中居町 )

【略歴】群馬大卒。東京教育大研究科、ユニオン大、立教大大学院をそれぞれ修了。教育学博士。大学教授を26年間務め、現在米国の大学の客員教授。著書15冊、共著3冊、論文28編。

「学ぶ」本質 



◎学習通し感性引き出す

 現代社会では、児童・生徒たちの勉強意欲が下がり続けている。しかし、残念ながら意欲を引き出す有効な手だてが打たれているとは言い難い。一方、受験指導では、意欲を育てるよりも、効率よく要点を押さえさせ、試験に高得点を期さねばならない面もある。

 ここで「学ぶ」ことの本質に迫り、大学教育の本来の姿を考えたい。

 「学ぶ」ということは、より知性的に生きるための力を身につけることだ。それは単に知識を得ることにとどまらず、読む、書く、話す、という学習を通して、感性を引き出すところにある。特に大学で教師が与えるべきは、既成の知識ではなく、知的意欲へのインセンティブ(誘因)である。学生の心が揺り動かなければ、学ぶ意欲は芽生えない。

 学生にとっては、自分の進むべき方向を考えることが意欲を高める最良の方法となる。将来の自分のあるべき姿を描けば、今すべきことが見えてくる。そのためには学問を通して考察し、物事を正しく判断し、表現力を鍛えねばならない。学生は授業の出席はもちろん、教室外の学習にも意欲的に取り組む必要がある。この積極的な努力を通してやる気が育ち、切磋琢磨(せっさたくま)することにより学問に励むようになる。

 アメリカの大学は、この知的活動の能力を養う場となっている。その例として、米国ニューイングランドにあるブリッジポート大学を紹介する。七つの学部からなる総合大学で、学部生千四百人、大学院生千七百人ほどで、教授陣は二百五十人である。

 授業は意欲的に参加するように配慮されている。教室では学生の発表を重視し、教室外では、読みやリポートが課せられる。例えばフランス語の授業で、学生は毎日二十五ページ読まねばならない。一週間では百ページを超える。読み終わればブックリポートをフランス語で書くことになる。この学習に毎日二時間はあてなければならない。他の科目と合わせると、一日の自習時間は五時間にも及ぶ。

 大学が重点を置くコアカリキュラム(中核となる教育課程)のうち、文章表現(一年)と論題研究論文(四年)について説明する。

 文章表現は学力のかなめである。大学の講義を受けるには、読書力、正しい考察力と文章表現力が必要だ。授業では文構成や修辞法などが訓練され、教室外では書く課題が出る。成績が悪ければ基礎表現を受けることになる。

 論題研究論文は、卒業論文とは異なる。前回の論題は「文明」であった。文系・理系の全学でこの論文を書かねばならない。グローバル化の現代における異質な文明の文化的意味、個人の価値観や生き方、社会を取り巻く環境の変化など広い分野の知見が必要だ。全学の討議が数回行われ、一般学科長が司会し指導する。最優秀者は卒業式で表彰される。

 アメリカの大学は学生に積極的な参加を求め、学生は責任ある一員として学問に取り組んでいる。大学は人生を豊かにする場であり、人格形成の掛け替えのない道場なのである。

(上毛新聞 2002年7月5日掲載)