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◎他人を楽しませ癒やす 「先生、シャツの一番下のボタンを留めないと、万歳した時にへそが出るよ」 彼女らはとても親切にしてくれます。孫のような学生たちと楽しい未来を語り合えるし、何と言っても教えるという立場で相手に大事にしてもらえるのだから、これほど楽しい仕事はないでしょう。 学生たちのリポートは本当にさまざまです。「先生は自己逃避の気持ちにならないか」という質問や、「このごろ、つまらないんだけど…」という愚痴。これには、週一回当番の朝のミーティングで答えました。 「若いころは、しょっちゅうだった。失恋もしたし、失敗は数えきれない。その都度陥る自己嫌悪。でも、少々にとどまれたのは、うぬぼれもほどほどだったからだと思う。それに楽しいことも、若いころは大概錯覚で、それが崩れる度にむなしくなる。その繰り返しだったのだ」 私は自信を持って自分の経験や理想は語るが、決して強制はしない方針です。 私の才能とは、私を育てる力を持つ師を敬愛したことぐらいでしょうか。それ故に尊敬する人と共にいることは、美しい風景や女性を前にしている時と同じくらい美的で快いのでした。おかげで楽しくて飽きないものが見つけられたし、毎朝起きるのが楽しくなったのです。 本物を知っている先輩たちはこぞって社会通念とは違う、簡単で難しくない価値観で私にやる気を出させてくれました。例えばリトミック教育を考えだしたダルクローズは「子供や人をゆがめないで癒やしたり育てたりできるのは、難しいピアノや歌を演奏することではなく、必要なのは指導者の自然な身体の動きと人柄だ」と言っているのです。 彼は、知識を詰め込まれ、技術をたたき込まれたりで、能力が偏るプロより、自然で素朴な人の生命力にこそ、癒やしたり育てたりする本当の力があるとさえ言っているのです。 今日のリトミック指導は逆になってしまい、子供たちのもともと持ち合わせている資質が損なわれているのが現実です。どうしてわが国で行われている幼児教育や音楽療法では、こんな易しいことが実行されないのでしょうか 私は四十年近く教室で授業をしてきましたが、テーマはいかにクラスにやる気のあるムードがつくれるか、ということでした。これは今も変わりません。 真剣に授業に取り組もうという学生の力が勝ることによってこそ、授業は引き締まるし、その反対になったらだらけてしまうでしょう。私が楽しい講義を試みるのも、学生が自信を持ち、志を達成させるためなのです。 毎年、全国の音大からたくさんのピアニストや歌手が卒業します。その中で、学生たちが自信を持って勉強や研究に取り組めるようにしてあげなければなりません。それ故に、彼らをがんじがらめにしている、世の中のゆがんだ能力観から解き放してあげることが必要です。これが私にとっての最大の課題でしょう。この大学から、人を楽しませ、癒やし、育てる真の芸術家を一人でも多く育てたいのです。 (上毛新聞 2002年7月4日掲載) |