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◎科学研究の基本を示す 先ごろ、スティーブン・ジェイ・グールド教授が亡くなった。すでに新聞等に、多くの追悼文が載せられたので、今さらという気もするが、教授のエッセーの愛読者として、また同業者として、一言述べさせていただく。 グルードの専門は貝類の古生物学であり、そこから発展した進化生物学だが、何と言っても科学エッセーの書き手として著名である。その特徴の一つは、一見関連のないテーマを進化の考えを通して、ものの見事に関連づけてしまうところで、科学史に関する造詣(けい)の深さがそれを裏打ちしている。 邦訳のエッセー集の最新刊である『ダ・ヴィンチの二枚貝』(早川書房)のまえがきでは、原典を直接読むことの大事さとおもしろさを強調している。もちろんそれは簡単な作業ではない。科学史の古い文献の多くは、ラテン語が中心で、あとはヨーロッパ諸国の諸言語が続く。日本人にとってはもちろん、アメリカ人にとっても大変な仕事になる。 しかし、人からのまた聞きと違って、実際に原典を読むといろいろな発見があるという。私も専門分野の古文献を収集しており、彼の言うところは非常によく分かる。古い本を開くと、百年前、二百年前の雰囲気の中で、当時の研究者との対話を楽しむことができるのである。 このことは文献に限らず、一般の科学研究においても大事なことで、自分自身の目で観察することで、いろいろな発見があることは、これまたグールドの言う通りである。最近の考古学界の不祥事も、こういう基本がないがしろにされていた点が大きいのだろう。 今回、グールドの初期の著作から最近のものまで、ざっと目を通してみた。むろん、進化という事柄をどう理解させるか、という点で一貫しているのだが、印象的だったのは、最初のエッセー集『ダーウィン以来』(早川書房)で、ダーウィンの進化理論が、「大いに誤解され、…誤用されている」という点で、これは現在でも全くその通りではないだろうか。最近、生物とは関係ない、いろいろなところで、「進化」という言葉を目にすることが多くなった。「進化する携帯電話」といったたぐいである。要するに、道具の改良や進歩に対して、非常に安易に進化という言葉が使われている。 『ダーウィン以来』でグールドは、進化の特性を次のようにあげている。「進化は無目的であり、非進歩的であり、唯物論的である」。これらのうち、最も誤解されているのが、非進歩的ということだろう。進化と進歩は全く別のことであって、グールド自身、いろいろな題材を使って、繰り返しこの点を強調している。 今度、進化という言葉が高校の教科書からも消えるという。進化という言葉の誤用が氾濫(はんらん)している現状を見るとき、文系・理系を問わず、やはり進化をきちんと学んで、そのおもしろさを理解してほしいと思う。 (上毛新聞 2002年6月15日掲載) |