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◎大学制度から見直しを 今年の四月以降、土曜日の図書館利用者が増加の傾向を見せている。これは、主として四月から実施されている新指導要領・学校五日制への移行の影響で、喜ぶべき現象であろう。 しかし、今回ほど自信がなさそうに見える教育改革は、いまだかつてなかったのではないか。改革に不安が伴うのは当然のことだが、問題は不安が何に起因するのかということである。 都立の高校では、20%ほどの学校が、何らかの形で土曜日に補習をしていると聞いている。学校五日制に移行しない私立高校の生徒に負けない学力(?)を付けさせるためだという。都内に限らず、土曜日に校外の施設で補習をやっているという例は、さほど珍しいことではない。 それらにかかわる人たちの不安の底にあるのは、大学入試、すなわち大学制度がどのように変わるのかが見えてこないことではないか。 教育改革は、いつも小中学校から始められるが、それは逆なのではないかと思う。小中学校で理想的な教育を行ったとしても、試験制度が変わらないかぎり元のもくあみになってしまう矛盾がある。まず大学の改革を先行させるべきであろう。それも大学統合といった構造的なものでなく、大学設置基準など根本から見直す必要がある。そのためにも、大学をどのようなものにするかの議論が、もっと多くの人たちによってなされるべきである。 その議論の手がかりの一つとして、「信濃浪漫大学」構想なるものの一部を紹介したい。「信濃浪漫大学」創設の構想は、作家で信濃デッサン館や無言館の館主である窪島誠一郎氏によって提示され、札幌大学学長の山口昌男氏や国際平和ミュージアム館長の安斎育郎氏、画家の野見山暁治氏、作家の井出孫六、小宮山量平、永六輔の諸氏らが応援している。 大学の構想としては、二つの美術館を擁する四年生の大学である。長野県上田市の塩田平一帯をキャンパスとし、養蚕農家を教室、研究室として再利用する。設置を予定されるのは「鑑賞科」と「放浪(自己発見)科」であるが、前者は「美術、文学、演劇等の鑑賞や、自然の事象を個々の眼(め)でとらえ、それを自らの人間性を豊かにする知力にまで高めるため」の科であり、「一人のゴッホを生むのではなく、百人の、ゴッホに感動する鑑賞者を育てる」ための科であるという。後者は「自分自身と向き合い、精神の放浪を重ね、そこから真の自分の可能性を探り当てようとする」科で、就学中に国内外への留学、遊学を実践し、「どう生きるべきか」を学ぶ科という。 入学試験は自薦を含めて全員推薦制、自由テーマのエッセー、面接を主軸とする。卒業試験は学生自身による小講演、シンポジウムへの参加、卒業詩、卒業歌(句)、卒業エッセーの提出などである。 まだここに紹介しきれない特色ある提案もあるのだが、このような大学が許可されるようになったとき、初めて教育改革の筋が通り、成功したと言えるのではないだろうか。 (上毛新聞 2002年6月9日掲載) |