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新田町文化スポーツ振興事業団総務係主事 
原田 憲さん
(伊勢崎市波志江町 )

【略歴】横浜市生まれ。愛知県知多郡で育ち、米国テネシー州立大経済学部卒。東京日本橋の損害保険会社に就職し、外航貨物海上保険損害調査部門に所属する。02年4月から現職。

グローバル化

◎自ら情報を探し判断を

 先進国の二十世紀はモノがあふれ、単一のグローバリゼーション(世界観)に覆われた。スポーツは古くから人と人を結びつける世界共通言語ではあったが、昨今の「ハリー・ポッター」「指輪物語」などのビリオンセラー文学書が、国境や宗教を超えて世界中の子どもたちに読まれ、将来どの国を訪れても共通の話題にできることを想像すると、自身の実体験から考えてもうれしい限りだ。しかしその半面、グローバル化が引き起こす単一性は、自国の文学、地域や家庭の伝統文化を軽視し、駆遂してしまう弊害も予想できる。

 心理学の授業で「人は他人が何を正しいと考えるかに基づいて、物事が正しいかどうか判断する」「自分に確信がもてない場合、群衆の行動も間違っている場合も多いのに、人は群集の集団的知識を過度に信用し、それが正しい行動とみなす」と教わった。

 身近な経済環境を考えても、根拠のない値引きばかりを求める消費者や、タンス預金が正当化されてしまう愚直な行為は、荒唐無稽(むけい)な集団的知識に当てはまる。各界のグローバル化も、パーキンソンの法則に該当する組織も、まさにこの集団的心理から構築されたものであろう。

 一方、文化事業の企画という仕事をしていると、常に集団的心理、また「メディアの影響力」に直面する。一般的に劇場で実施してほしい催し物は何かという要望を集約すると、「皆が見るものを見たい。なぜって皆が見るから。テレビでやっていたから」となる。デザイン(流行)と芸術(伝統)の関係のように、流行の中でも質が高い物が将来、伝統と呼ばれる物になり、かつ流行は今の生活を豊かにする上で重要な要素である。

 しかし、流行には低俗な物が多く、うわべだけの流行を追うだけではあまりにも個性と知的探求心がないお粗末な発想ではないか? 私は大衆の好みに合わせるために質を落とすのでなく、大衆が趣味の良い人たちに合わせるためにあと一歩の努力をすべきであろうと考える。

 例えば五年前のヒット曲が忘れ去られるのに対して百年前の音楽がいまだ親しまれる意味を考えると理解できるのではないだろうか? アダム・スミスも「民主主義と自由経済主義の主役は自立した個人である」としており、受け身的なテレビの知識だけでなく、本・新聞・雑誌を読み、自分で新しい情報を探し、伝統文化にも目を向け、自己判断すべきだろう。メディアに管理・コントロールされているだけでは封建主義的であり、家畜と一緒ではないか。

 私は文化事業の企画のプロ(どんな職種でも、その仕事で給与をもらっている以上、経験・教育の有無を問わずプロフェッショナルと言うべきだろう)として、あらゆる媒体の音楽・芸術番組はなるべく確認するようにし、月に一度は生の公演を鑑賞、三カ月に一度は東京で公演を鑑賞するよう自分に課してきた。漠然としているが、エアリスは単なる見せ物小屋ではなく、温故知新の精神をもち、地域と一体になったホールにしたいと考える。

(上毛新聞 2002年6月3日掲載)