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木工家・大野 修志さん(上野村新羽 )

【略歴】北海道生まれ。千葉、東京での生活を経て89年に上野村へ。村森林組合銘木工芸センター勤務後、92年独立し「木まま工房」設立。県ウッドクラフト作家協会事務局長。村木工家協会副会長。

クラフト

◎生きていく知恵を形に

 クラフト、この言葉が知られてきたのはいつごろからかは、よく覚えていないけれど、自分がクラフトという中に身を置いていることに気が付いたのは、八年ほど前のことになります。木工という仕事を生活の糧に選び、なぜこの仕事をするのか、また、しなければならないのか、その意味に気が付いたころのことでした。

 長野県松本市で開催される「クラフトフェアまつもと」に、友人の紹介で行った時のことです。その会場は、今までに出合ったことのない雰囲気に包まれていました。五月のさわやかな陽気の中、旧制高校の校舎が残されている公園の芝生を取り囲む遊歩道の周りに、日本中から集まったさまざまな分野のクラフトマンたちの作品が、思い思いの表現の仕方で展示されています。そして訪れる人々も自由に自分の感性の求める作品を手にとり、作者と話をして価値を納得し譲り受けていました。それは、都会の中に人々が求めたがる場所ではなく、人々が自然に集う場所だったのです

 では、なぜ人々が集まってくるのか、それはクラフトフェアまつもとのコンセプトにありました。「世界はバラバラになりすぎた 生命はもっと単純なものだ」。なるほど、クラフトの原点は確かにそこにあると思います。はるか昔から、そして今でもそうですが、人々の生活の中で生きていく知恵を形に変え、物という形でより良い生活を求めてきました。その形を個人単位で考え、その作り手にしかできない形を作り出したもの、それがクラフトであり、人々が求める魅力です。

 作り手には、自分が作り出したものを本人以外の人に知ってもらいたい、使ってもらいたい、生活の中に作り手の提案する形を共有する人と巡り合いたい、という思いがあります。また、そういうものがどこにあるのかを求めている人々もいます。このような関係に出合える場所が松本にあり、人々の集まる源でした。

 これらのことは、現代の社会では忘れてしまったことではないでしょうか。そして一つの文化の始まり、これからの時代にとって大切な新しい文化の原点だと考えても良いと思います。今までのようにつくられた文化の中で人々が生きていくことを強いられるのではなく、作り手とそれを求める人々、そのお互いの関係から今の時代に大切なことを始めるのも、クラフトという言葉を通してできるのです。

 私たち群馬の森クラフトフェアー実行委員会は、このフェアを群馬でやりたい、群馬の人々にも知ってもらいたいという思いから、昨年「第一回群馬の森クラフトフェアー」を群馬の森で開催することができ、今年も去る四月二十七、二十八日に第二回を開催することができました。第一回の開催でも多くの人に来ていただきましたが、第二回ではそれを上回る参加者と来場者があり、素晴らしい時を過ごすことができました。

 このフェアーの開催に当たり、この場をお借りして群馬県並びに関係各位の皆さまのご理解、ご協力に深く感謝を申し上げます。私たちの求めているクラフトという文化を、訪れてくれた多くの人々に知っていただけたことと思い、また、さらに多くの人々に知っていただきたく、来年以降も続けていきたいと考えています。


(上毛新聞 2002年6月2日掲載)