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◎狭義の体力で性差強調 今回はスポーツの中に見られる「女性」と「男性」の位置付けについて考えてみたいと思います。人間は「女性」と「男性」の二つの性別だけではおさまらない、そんなに単純ではない、ということが最近盛んに言われるようになってきまして、私も何度かそのことについて触れてきました。当たり前のように使っている「女性」と「男性」という区分は、実は“生殖”を前提とした制度的もしくは便宜的な区分でもあり、そこに「女らしさ」「男らしさ」などの強さや弱さにかかわる付加価値が想定されているのです。つまり、「女」と「男」という区別の観念が先にあって、それに「生物学的性別」が当てはめられている、とも言えるのです。 例えば、プロスポーツの世界に根強く存在している男女の賞金格差の問題。二〇〇一年のゴルフトーナメントで、同じグループが主催する男子の大会の賞金総額は一億四千万円、優勝賞金は二千八百万円であったのに対し、女子の大会の賞金総額は男子の二分の一にも満たない六千万円で、優勝賞金は千八十万円でした。スポンサーの数は同じでした。同じような賞金格差はプロテニスの世界でも見られます。このような格差はなぜ起こるのでしょうか? 体力に性差があるからでしょうか? では「体力」って何でしょう? 「体力」とは、筋力や瞬発力を含む狭義の「行動体力」と、精神的、身体的ストレスに対する抵抗力などを含意する「防衛体力」から成り立つ概念であり、行動体力にはその他、持久力や調整力も含まれます。最近ではマラソンなどのように、女子の持久力の高さが話題になっていますが、とかく「体力の性差」を強調する人の中には、男性に優位とされる筋力や瞬発力だけを想定している場合が多いように思われます。 しかし、経験した人はお分かりになると思いますが、ゴルフやテニスなどはそのようなパワー系の「体力」だけで勝てる競技ではありません。巧みなテクニックや柔軟性、判断力等も大切な要素となるのです。それなのにどうして、女子と男子の大会では、距離やセット数、試合日程数が異なるのでしょうか? おそらくこれは、狭義の「(パワー系)体力」だけを指して「女子は男子よりも体力的に劣る」という観念を前提とし、「だから女子の大会では男子よりも距離やセット数、試合日程数を少なくすべき」というパターナリズムが働いているものと思われます。 もっと言ってしまえば、「女子と男子は違う」ことを証明したいがために、狭義のパワー系の「体力」だけを持ち出して「格差」や「性差」を強調しているのではないでしょうか。「体力」の一部でしかない筋力や瞬発力ばかりを強調し、スポーツ全体が男性の特権物のように扱われる時代は、そろそろ終焉(えん)を迎えるべきではないでしょうか。 (上毛新聞 2002年5月16日掲載) |