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高崎経済大学地域政策学部教授 河辺俊雄さん(東京都世田谷区野沢 )

【略歴】京都市出身、京都大学理学部卒。東京大学大学院医学系研究科博士課程修了。同大医学部保健学科人類生態学教室助手。92年高崎経済大学助教授、97年から現職。


消える楽園


◎温暖化で海面が上昇 

 一九九二年の地球サミット(リオデジャネイロ)から十年の節目となる今年、八月には「リオ・プラス・テン」と呼ばれるヨハネスブルク・サミットが開かれる。最大の課題だった地球温暖化問題では国際交渉が難航し、先進国の温室効果ガス排出削減を義務付けた京都議定書が、サミットに合わせて発効する予定になっているものの、世界最大の温室効果ガス排出国である米国は議定書に参加していない。地球温暖化の対策が遅れることは避けられず、その影響として生態系の激変、極地の氷床の溶解による海面上昇、農業生産性への影響、媒介生物による感染症の増加などが危ぐされる。とりわけ、海面上昇はさんご礁からなるオセアニアの島々では深刻な影響が心配されている。

 地球温暖化の影響をもっとも強く受けるさんご礁の島は、今はまだ美しく豊かで、まさに南太平洋の楽園である。そのような環境で生活する人々を対象として、パプアニューギニアのマヌス地域で調査を行った。マヌスの海は空も水も吸い込まれそうな青い世界であり、点々と浮かぶ島々で、人びとはさんご礁の豊かな海の幸に恵まれて暮らしている。マヌスは、パプアニューギニアのなかではきわめて早く十六世紀にヨーロッパ文明と接触し、一九二○年代の終わりから第二次世界大戦後にかけて急激な変化を経験し、石器時代から二十世紀への飛躍と評されている。移動手段は、手こぎカヌーに加えてモーターボートが用いられるようになった。

 マヌスの主な生業は、焼き畑耕作(タロイモ、バナナ、キャッサバ、ピーナツなど)と漁労活動(船外機付きボートによる一本釣り、素潜り漁など)、そして換金作物のココヤシやカカオの栽培である。パプアニューギニアのなかでは教育が進んでいるため、都市で職につく者が比較的多く、彼らからの仕送りによる収入が多いため、生活の変化が強くおきている。

 身長などの身体計測の結果は高い値を示し、豊かなさんご礁の海の幸が、マヌスの人びとの体格のよさをもたらしていると考えられる。小型カヌーを用いた伝統的な生活においても、魚介類からのタンパク質摂取量は多かったと推測され、さらに急激な近代化によって摂取する食物と栄養条件がよくなったのであろう。しかし、体重は重く、皮下脂肪も厚いことは問題であり、とくに四十歳代の女性は肥満の危険性が高い。

 マヌスの子どもの身長の成長パターンは、動物性タンパク質の摂取量が十分で良好な栄養条件に加えて、近代化が進行している状態を示している。ただし、すでに近代化を終えた日本や米国の子どもには、まだ二〜十センチおよばない。伝統社会から短期間で近代化がおこる場合の例として興味深い対象である。

 しかし、豊かなさんご礁の島は、地球温暖化による海面上昇の影響を示し始めている。いくつかの村では最近の三十年間に海岸線が三十メートル後退し、ココヤシが倒れ、浸水を避けるために家や畑を移動したという。楽園の消える日が近づいている。



(上毛新聞 2002年4月21日掲載)