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◎今こそ工夫と努力を 県外に住んでいる知人から今年頂いた年賀状に、次のような意味の添え書きがあった。私が知らせてあげた、県内のある施設の企画展を見に来ての感想であった。 「展示(壁)の内容は温かみのある良い内容でしたが、Tに直接関するものはレプリカが多く貧弱でした。文化を大切にしない土地柄が感じられて、少し悲しかった」 この年賀状を読んで、私も少し悲しかった。ちなみに、Tとあるのは私の知人の父親である。知人の心情は十分理解できる。「文化を大切にしない土地柄が感じられ」という言葉は私の胸に重く残った。 私も展示を見たが、T氏に直接かかわる原稿、色紙、短冊が確かにレプリカであった。その知人の持っている資料の中には、T氏直筆の原稿、色紙、短冊のほか極めて貴重なものもあるが、何よりも「人」に直接かかわる基本資料がレプリカで済まされていたことが、文化というよりはむしろ「人」が大切にされていないと映ったのではないだろうか。 指摘されるまでもなく、企画の段階での情報収集も含めて、あと一歩の努力が欲しかったと言えよう。しかし、私はあと一つ見逃せない問題が潜んでいるように思う。それは、県内の施設に限らず、文化施設の予算が年々削減されてきているということである。都内のある文学館では、企画をしたものの、調査に行くための旅費が足らず、進めることができないでいると聞いたことがある。 県内の関係者の話でも、自主的な企画展示が予算的に困難になってきて、セットされた巡回展を取り入れなければならなくなりそうだ、ということである。せっかく地域に建てられた文化施設でありながら、固有の地域に密着した独自な企画ができず、どこででも見られるようなものになってしまったら、その意義は半減する。そして予算の削減でレプリカの展示がさらに多くなることも危ぐされる。 しかし、少ない予算のなかでも、どのような工夫と努力がされるかが大切で、レプリカの展示も、企画の目的に沿って、レプリカでもやむを得ない資料と、レプリカであってはならない資料の峻別(しゅんべつ)が必要なのであろう。 かけがえのない大切な資料だから、輸送だけでも多くの経費がかかることもある。予算の圧迫は、事業の開催そのものも難しくしてしまう。私の経験では、輸送専門業者への依頼だけが安全という考えは必ずしも当たっていないように思う。ケースに応じた、安全で経費の少ない輸送方法を模索すべきだと思う。資料は活用されてこそ価値を持つ。担当者は保存のみでなく、資料をどのように生かして使うかを第一に考えるべきで、収蔵庫の単なる番人になってしまわないでほしい。 予算が乏しいという理由で文化事業が停滞してしまわないよう、また質を落とさないよう期待したい。いまは、担当者の力量が問われているとも言えるが、逆に力量の見せどころでもあると言えるのではないだろうか。 (上毛新聞 2002年4月8日掲載) |