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◎珍しい女性優位の表記 本県が斯界(しかい)に誇れる古代文字資料として、古くから上野三碑の名で親しまれた山ノ上碑(六八一年)・多胡碑(七一一年)・金井沢碑(七二六年)がある。このうち多胡碑は上毛かるたにもうたわれるとともに、日本三碑として名高い。一方、山ノ上碑と金井沢碑は、古代における仏教の地方への普及を示す重要な資料となっている。 今回取り挙げたいのは、山ノ上碑の国語表記開発という観点からの重要性である。通常の読み方に従って、原文にカタカナで送りがなを振って示せば次の通りである。 辛巳ノ 歳集月三日記ス 。佐野ノ 三家(ミヤケ)ト 定メ 賜ユ ル 健守ノ 命ノ 孫、黒売刀自(クロメトジ)、此レ 新川ノ 臣ノ 児、斯多々弥足尼(シタダミノスクネ)ノ 孫、大児ノ 臣ニ 娶(ア)イ テ生メ ル 児、長利僧、母ノ 為ニ記シ 定ム ル 文也 放光寺僧。 この文章の特徴は、返読個所が一つもない(返り点がどこにもない)ことである。例えば「母のために」を漢文的に書けば「為母」の字順になるべきであるが、山ノ上碑では国語の語順の通りに漢字が並べられている。古代の金石文は漢文を利用して書かれており、私たちが読む際、返り点を打って読むのが普通である。山ノ上碑のように、すべての漢字が国語の語順通りに並ぶものはたいへん希少である。文字を持たなかったこの国が、漢字を使って国語を書き表そうとした工夫を知る、重要な手がかりとなっている。 さて、母のために書かれた文章ではあるとしても、女であるクロメトジが男を娶(メト)るという表現は異常である。漢字本来の「娶」も「男が女を娶る」と使われる。「娶」をメトルと読むのは、字形訓(漢字を分解してそれぞれを読んで作った訓)であると考えられる。「女」は奈良時代は「メ」と読む慣例があった。「取」は現代でも「トル」である。たとえば「聖」(ひじり)の訓も、もともとは「智」(日知り)に当てられたものであろう。このように漢字に訓をつけることから新しい言葉も生まれていった。 「娶」には、前掲のように「〜にあいて」という読み方や、「此(クロメトジ)を大児臣がめとって生んだ児」という読み方も存するが、それにしても、山ノ上碑が女性優位の書き方をしていることは動かない。埼玉県の稲荷山鉄剣銘をはじめ、系譜は男を中心に書かれるのが普通である。例えば、吉備真備の父と叔父が母の骨を納める器に書いた金石文もあるが、そこには母の名前すら書かれていない。女性優位の系図など今日でもまれであろう。唯一、古事記に氏族の祖先に女性名を挙げる例が思い当たるのみである。 木に竹をつぐようではあるが、こう見ると、本県の「かかあ天下」のはしりは七世紀のクロメトジにまでさかのぼれることになる。この由緒ある女性優位の本県であればこそ、高校の「女男」別学率トップの座も意義を持つのではないだろうか。 (上毛新聞 2002年4月7日掲載) |