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建設会社勤務(管理建築士) 川野辺 一江さん(館林市近藤町 )

【略歴】東洋大工学部卒。都内の建築設計事務所勤務などを経て結婚後、一級建築士に合格。管理建築士を務めている。館林市の中心市街地再生を考える「まちづくりを考える研究グループ」メンバー。


倒れた親友

◎リハビリで笑顔戻る

 学生時代、下宿が一緒で知り合った、四十年来の親友がいる。彼女は教師の道を進み、東京都下の小学校の校長になって張り切っていた。筆まめで、週一通か二通は絵手紙や封書で学校のこと、家族のこと、自分の悩んでいることなどを書いて送ってくれた。

 ところが昨年暮れから音さたがなくなり、年賀状も見事な自作の版画のみで一筆も書いてなかった。学校の仕事が忙しいのだろうと、こちらから電話をするのも遠慮していた時、彼女のだんなさんから電話があり、彼女が脳梗塞(こうそく)で勤務先の学校のトイレで倒れて神奈川県の病院に入院したが、本人が私に会いたがっているとのこと。がっしりとした体格と、笑うとえくぼのできる彼女の顔が目に浮かんだ。左半身不随になって、ベッドに横たわっている彼女が想像できない。だんなさんは「顔が変わったので驚かれるかもしれませんが」と付け加えた。

 私は次の日、電車を乗り継ぎ、神奈川県の小田急線の愛甲石田駅で降りた。バスの時刻表によると、一時間ごとに車いすも利用できるバスが、その県立病院まで往復している。駅前の停留所には車いすの人が二人いた。バスが来ると、一般乗客はバスの後ろの入り口から乗り込む。車いすの客はバスの前のドアが開き、運転手がステップを広げてそのまま道路まで下げる。車いすの客をステップにのせ、アップさせて車内の通路の高さにする。車いすの客が車内の車いすのスペースまで進むと、運転手が車輪を固定する部材で押さえて運転席に戻り、バスを発車させる。途中の停留所は車いすの降りるスペースのある場所だけ車いすの乗降ができることになっていて、発車する時に注意の車内放送があった。

 私の向かい側に乗った車いすの男性と目が合ったので、「車いすでバスに乗れるのは良いことですね」と話しかけると、「買い物に行ってきました。お見舞いですか?」とその男性が答えた。私が群馬から友人の見舞いに来たことを話すと、その男性も四十代で脳梗塞を起こし左まひで車いすの生活をしているが、用事がある時は車いすで一人でバスに乗って出かけることができるので助かると話していた。

 道路脇に広いスペースのある停留所で、その男性は私に「どうぞ気をつけて!」と言葉を残して、運転手に車いすを下げてもらって降りていった。一人で車いすに乗り、バスで買い物に出かけられる気持ちの余裕がその一言から感じられた。どこの地域でも走ってほしいバスだと思った。

 終点の県立リハビリテーションでバスから降り、親友の病室を探した。教えられた階のナースステーションの前に「○○さんの病室はあちら」と矢印の書いてある案内が張ってある。多分、彼女のところに教え子やその父母、同僚が大勢来るので案内を出したのだろうと、これまでの職場での活躍が想像された。

 ベッドにあおむけの親友はこれまでの笑顔が消え、十歳以上老けてしまったような表情をしていた。左半身がまひしていて、頭が痛く眠れないという。言葉はしっかりしていて以前の彼女と変わりがないが、時々、体を動かしてと頼まれる。重くて、私一人では彼女を動かせない。看護師さんに頼んで体の向きを変えてもらう。半身のまひが本人にとっていかに大変なことか、彼女の様子で理解できた。校長先生として毎日忙しく、血圧が高いのに診察も受けず健康管理をしていなかったと聞き、自分の体をもっと大事にしてほしかったと悔やまれた。これからリハビリをしっかりしてと話して、また会いに来ることを約束して病室を出た。

 一カ月ぶりに親友の病室を訪ねると、すっかり明るい表情になった彼女が、車いすで病院内を移動していた。卒業式の校長先生のあいさつを車いすでできそうと明るく話してくれた。笑顔の戻った校長先生を、小学校の児童たちは笑顔と拍手で迎えてくれたことだろう!




(上毛新聞 2002年4月4日掲載)