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◎近代化遺産の活用を 前橋地方気象台では三月一日から、気象注意報・警報を「赤城榛名」などの五つのエリアに分けると発表した。赤城榛名地域の特徴は「山を上昇する気流が冷えて雨になり降水量が県内最多」としている。 箕郷町の中心を流れる榛名白川の源流は、榛名山の磨墨岩や相馬が嶽南面の急峻(しゅん)な斜面にまで達している町民自慢の河川であるが、源流地域の大雨の際には、大災害をおこしている。 昔一夜にして寺院を流し去った記録や、昭和九年には、下流の烏川聖石西岸では十六人が水魔の犠牲になり、その近くに今も犠牲者のために「殉難者の碑」が建てられている。 昭和四十一年九月の集中豪雨では、榛名白川の本支流河川が氾濫(はんらん)して善地・松の沢地域は大被害を被った。直径三メートルくらいの大石が住宅の庭に押し上げられていたり、流された石垣の奥の家を守るために、筆者も胸まで水に漬かって復旧作業をした記憶がある。 日本では明治六年に、オランダから水理工師ヨハネス・デ・レーケ(一八四二―一九一三年)を招いて、河川・港湾・上下水道づくりのための指導をうけた。河川としては木曽川三川改修その他を行った。徳島、京都、岐阜、長野などに今も「デ・レーケの堰堤(えんてい)」がある。およそ百年たっても機能しており、文化財に指定されたり、近くにデ・レーケの銅像、砂防歴史公園などがつくられたりしている。 松の沢地区を経て、松の沢峠へ向かうとロッククライミングで有名な黒岩に至るが、そこを東に入って、左折して進むと榛名白川の上流域に「デ・レーケの巨石堰堤」がある。県の説明板もあり、要約すると、次のようになる。 「デ・レーケは日本各地において荒廃した森林の復旧など先進技術の指導にあたり、ここに見られる巨石堰堤は、氏が明治十四年から五年間にわたり、榛名山麓(ろく)一帯に残した多くの堰堤の中の一つであり、全国的にも貴重な存在です。今でもなお、土砂の流出防止や崩壊防止等に立派な役割を果たしており、その技術の素晴らしさを現代に伝えている。榛名白川周辺は、群馬県における治山・治水事業発祥の地といえる」 ガラメキ温泉近くに美しい「佐保姫の滝」があるが、名称をつけたのも、このころのことのようだ。調べてみると、デ・レーケの堰堤群がつくられた明治二十年ごろ、ガラメキ温泉や伊香保温泉の文化が発達している。 デ・レーケの堰堤は水源地の荒廃を防ぐために渓流個所に石を積み三面を固めて土砂の流出を防いで地下水をあげ、植物を育て山林の緑化をはかった。「デ・レーケの巨石堰堤」は群馬県でも、関係者が大切に守ってきた。人々の生活を守ってきた近代化文化遺産として活用を図りたい。多くの人が見学してほしい。箕郷町では「箕輪城跡」の桜や、「芝桜公園」の芝桜がみどころになる。 (調査協力 箕郷町松の沢・清水謙親氏、箕郷町矢原・中村智昭氏) (上毛新聞 2002年3月31日掲載) |