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◎本来の意味の復権を そんな時の流れは、子を持つ親として、またそれを離れて何よりも一人の人間として、自分が生きてゆくための姿勢について、ちょっぴり考えさせられる時間でもあるような気がしている。 ところで、私自身が従事しているサービス業についていわれることだが、お客さまのニーズが変化してきた、すなわち「価値観の多様化」ということを耳にする機会が増えてきた。そしてこの言葉は、往々にして個人個人の人間性を尊重しているかのような、良い意味で多用されることがしばしばだ。 しかし本当にそうなのだろうか。私たちの商売に限っていえば、いつでも、どこでも気持ちのよい心配りや、あたたかい接遇さえあれば、その誠意自体が何よりも「価値」あるものだ、と思うのだが。 これは何も商売における商品(サービス)と対価だけの問題ではなく、社会全体の価値観とか、ものの見方とか、私たちが生きていく上で、そもそも何が本物の「値打ち」なのかというテーマにかかわってくるように思われる。 実は塩野七生氏が言うように「そもそも価値なんて、そんなにあったら価値でなくなる」のである。身勝手なわがままや、安易な気まぐれさえも、「これは私の価値観だ」などと耳ざわりの良い単純な言葉に置きかえてしまうことの危険性を、私たち大人はよく認識すべきであろう。 そのことを前提に、子供たちにも真の意味での「価値観」を自らの学びの中で発見し、創造していく―この言葉のもつ本来の意味を復権してもらいたいと思うのである。 例えばグローバリゼーションの時代といわれる現代は、あたかもこの潮流に乗らなければ孤立してしまうかのような焦燥感すら与えかねないが、要はそのことが私たち一人ひとりの生活に何をもたらしてくれるのか、地に足のついた議論をせず、無邪気にアメリカニズムを信奉する皮相な態度が見え隠れしてしまう(J・アタリというフランスの論客は、その陥りやすいわなと限界について説いている)。 サービス業とて、あえて誤解を恐れずにいえば、接遇を受ける側、する側双方に価値観がある。両者は単に支配従属の関係にあるのではなく、おのおのがお互いの節度と主張を賢くコントロールすべきだと思う。 一定のマナーとルールを基本にしながら、お互いの心の交流によって支えられる関係の中から初めて、真の感動や癒やしが醸成されると感じるからである。 借りものの知識や使い捨ての情報に振り回されていると、ものごとの本質や核心を見極めるための視力が衰えてしまうことになる。毅然(きぜん)として、しかも慎み深い態度で世の中のさまざまな現象を洞察する「審美眼」こそ、今の私たちに最も求められている倫理かもしれない。 (上毛新聞 2002年3月17日掲載) |