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◎簡単に景色変えないで 私の休日の日課は朝の散歩だ。犬とともに広瀬川わきを歩く。犬はその日、最初の解放感を味わいながら、並木の根元ににおいをつける。私は眠っていた頭の中に新鮮な酸素を供給しながら歩く。 かつては漬物工場があり、その工場の出すにおいが地域の姿の一部でもあったこのエリアの川は、地域発電のため三十年ほど前に深く掘られた。護岸はコンクリートで固められ、危険防止のため金網の柵(さく)が設けられた。機能一本やり。自宅の井戸は枯れた。川の流れは深く急になり、両岸にあった桜の並木はカイヅカイブキに取って代わった。しばらくして工場は工業団地に移転し、その後、市のプラザや集合住宅ができた。においもなくなり、川並みは変わった。 すれ違う何組もの犬が栄養を与えるために、イブキはいつも緑色。その並木の中に桜の木の一部がわずかに残っている。そして、古木の枝がいくらか赤みをつけたのを発見し、春の訪れを知る。名物の風は、川の流れを通り道にして、北からの雪のにおいと乾いた冷たい空気を運んで来る。風に正対すると、延長上に敷島の水道タンクが目に入る。背景は右に赤城、左に榛名を従えた子持山の向こうに、雪をかぶった谷川連峰である。 ところが、この風景が自宅の屋根裏からは見えない。この地域ではどこからでも見えた、市内においしい水を供給するタンクの雄姿が見えないのだ。大きな看板が視界をさえぎってしまったのだ。残念至極である。 県庁の最上階からの展望は、空気の乾いている今の季節がはっきり見えて絶景である。いろんな地域で、個人が一番好きな景色の場所や落ち着く場所、街並みへの思いをもっていると思う。それがそれぞれの財産であると思う。そして、この景色は将来もずっと残してほしいと思う。ひとつの看板や建物で変わってしまうのは悲しい。目立てばよいだけの看板はいただけないし、工夫が欲しいものである。 私は東京まで毎日通勤する“群馬都民”である。ご存じのように、新幹線の座席は二列の席と三列の席とあるが、それぞれの席の真ん中にあるひじ掛けは、どちらに座った人に属するのだろう。先に座った人の物だろうか。それとも態度の大きい人の物だろうか。 住居表示や町の境界区分は、行政の都合上、道路であったり川であったりする。しかし、通りは左右があって通りである。通りを挟んで向こう側の商店街と、こちら側の商店会が存在したりして、同じ通りなのに住居区分が違ったりする。 通りはそこに住んでいる人の物、その通りに来る人の物、通過する人の物、そして自分の宝物、みんなの宝物。 町の区分、町の名前、通りの名前など、都市計画が机上で練られ、これからもいくつも実行されて町は変化してゆく。この町の通りは、これからどうなっていくのだろうか。 活性化することは大事なことであるが、町の景色や空気の流れは簡単に変えてはならない。その町に生きているから。町を愛しているから。 (上毛新聞 2002年3月7日掲載) |