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吾妻郡東村長 唐澤保八郎さん(吾妻・東村五町田 )

【略歴】高崎短大卒。昭和29年より37年間、吾妻郡内の幼稚園、小・中学校の教育職員を務める。平成11年4月より東村長に就任。現在1期3年目。


発想の転換

◎県営施設を山村に移せ

 最近、とみに「自然との邂逅(かいこう)」とか「いやし」なる言葉を文物、映像を通して耳目に触れるが、この現象は裏を返せば、人々が何か得体の知れないせわしさに追われ放しの日常にあって、ふと立ち止まった時、何らかの刺激により、自分というものを取り戻したときに発露する現象でありましょう。大げさに言えば、生きていることの素晴らしさ、人間としての深い味わいを感ずる瞬間ともとらえられるでありましょう。

 こんな矢先に、私は過般の県の町村会の折に、県への提言ということで、先輩諸氏をさておいて「一村一県営施設」のタイトルをもって、駄弁をろうしたことを思い出したのであります。

 それは、結論から申しますと、都市部に集中する県営施設を辺地と言われる山村へと目を向けるべきである、という論旨であります。中でも県立病院、県立体育施設は、その機能の原点に立ち戻ればおのずとその理、かなうものと思うのであります。即ち、病をいやすのが病院であるならば、喧噪(けんそう)とも感じられる都市部でなく、緑豊か、水清き山川、透き通るような夜空、そこを吹き抜けるおいしい空気、これぞ病院としての環境条件ととらえるが。

 体育施設もしかり。心身のリフレッシュ、スポーツを通しての健康の保持・増進、各種イベント会場としての機能を発揮するものであるとするならば、前述の病院の立地条件をもって全く合致すると思うのであります。グラウンドで心地よい汗を存分に流し、一息ついて場外に歩を運べば、ここでも緑や紅葉の林間、清流の川面を抜けた、清浄なる風を満喫できるはずである。リフレッシュへの条件が何一つ手を加えることなく備わっているのが山村である、と思うのであります。

 長年都会生活を過した人が、何かのきっかけで山村の自然に触れ、本当の人間になったと述懐する記事の多くなったこと。このこと一つをとっても、人間にとっていかに自然が貴いものであるかを伺い知ることができる。ただ、そのことを多くの人々が体感を通して実感できないのは、そのような機会の乏しさにあると思われるのであります。その機会の増幅を図る一助が、県営の病院や体育施設の山村への分散であると考えられるのであります。

 施設への投資効果が優先される発想からすれば、利用効率が高いのであろうと予測される人口密度が大で、アクセスが備わっている都市部へと施設が集中してしまうでありましょう。

 しかし、それらの持つ機能が前述の通りと首肯されるとするならば、ここらで発想の転換をしてみることも一つの決断であろうと考える。

 これにより、山村と都市の交流が深まり、ややもすると地域エゴともとる山村と都市との対立、利己が排され、しなやかなバランスのとれた自治体、国へと向かうでありましょう。何より群馬県全体が明るく伸びのびとした、一大リゾート地と変貌(へんぼう)するであろうと考えるが。




(上毛新聞 2002年2月23日掲載)