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上智大学文学部助教授
瀬間正之さん
(高崎市台新田町 )

【略歴】高崎高校卒。上智大、同大学院修了。86年、ノートルダム清心女子大を経て、99年より現職。専攻は、古事記、日本書紀、風土記のほか、金石文、木簡など。古事記学会、上代文学会理事。


韓国語

◎日本語に最も近い言葉

 今年はワールドカップの年である。韓日と呼ぶか日韓と呼ぶかはさておき、これを機にますます両国の関係が親密かつ円満になることを望みたい。

 教科書問題は、日本が常に批判の対象にされるが、韓国の歴史教科書について日本で関心を持つ人はまれである。近現代史中心の傾向は、ますます強まったようである。二十年前は加藤清正の名を知らぬ者はいなかったが、今は大学生でも知らない人が多い。いわんや、白村江の戦いは知られていない。これは日中韓すべての正史に記録されるが、百済の古都泗●城跡の観光案内にすら、(十年前に訪れたとき)倭・日本の一語も見えなかった。学校教育でも、百済・倭の連合軍が唐・新羅の連合軍の前に敗退したことなど教えられることはない。歴史教科書問題も、双方向性が必要であろう。

 西洋では、自国語・自国文学を学ぶ時、必ずそれと近い言語も学ぶ。音韻対応の法則というものがあり、一例を挙げれば、英語のdは必ずドイツ語のtに対応する。飲む・娘・夢などの単語がその例である。これによって両者が同系列である(古くは同じ言葉であり、それが現在のように別れていった)ことが証明される。日本語には、同系列であることを証明された言語はない。文法的には、現代韓国語が日本語に最も近い言語であることは確かであるが、今日その関係は明確には分かっていない。

 現代韓国語自体、新羅語が基になっていることは確実視されるが、高句麗語・百済語については体系的に把握することは困難であり、断片的に単語レベルで知られるに過ぎない。ところが、日本書紀の古い訓に残される王(キシ)・城(サシ)や、郡の古い訓「コホリ」が、光州(故百済の地)で発見された十六世紀の『千字文』の訓と一致した。これは新羅系の『千字文』には見られないことである。『千字文』は古事記・日本書紀によれば、応神天皇の時代、百済の王仁(ワニ)博士が日本にもたらし、皇太子に教えた書であり、今日でも書道の基本テキストとなっている。史書に残された高句麗の地名表記から、数詞「三・五・七・十」が、日本語のミツ・イツ・ナナ・トヲに一致することも分かっている。

 留学生をお茶に誘ったことがある。「喫茶店でも行きませんか」と誘うと「いいです」と答えるので、当然拒否されたのかと思ったら、そうではなく快諾の意味であった。この日本語の「いいです」「結構です」「構いません」の使い方は、留学生には極めて難しいらしい。これを正確に使いこなせるのは、韓国からの留学生に限定される。なぜなら、韓国にもこれと同じような用法を持つ「ケンチャンスムニダ」という言葉があるからだ。

 本県でも、修学旅行に韓国を選ぶ高校が増えている。今年からセンター試験にも韓国語が導入された。今後、この隣国の言葉を学ぶ若者が増えることを期待してやまない。
(※編注 ●は「さんずい」に「此」)

(上毛新聞 2002年2月11日掲載)