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◎風通しのよい社会を 平成十四年の新春ということで、今の時代をどう生きるかを考えてみよう。私の手元には、全国の詩の同人誌がたくさん送られてくる。最近号では作品の七割ほどが、昨年九月十一日の同時多発テロとの関連の詩である。あの日から世界が変わったという意見も多い。 アメリカのブッシュ大統領はテロを受けた直後、「これは戦争だ、テロ撲滅のために武力を使用する」と断言して、アフガニスタン攻撃を始めた。世界の最強国が、最貧弱小国の全土に空爆を加えて制圧した。テロはもちろんいけないが、そこに至る原因には触れないで、報復戦争を強行した。これでテロは根絶できると思うものはほとんどいない。弱肉強食の論理がまかり通ることになる。 二十一世紀は報復テロの泥沼の世紀になるとの暗い予想もある。誠に暗い世紀の幕開けである。 米国の世論はブッシュ大統領を支持しているが、「戦争は不可」との声も強いと聞く。日本や世界の列国もアメリカに同調しているが、一面で「隠れキリシタン」をもじって、「隠れザマーミロ」という言葉がはやっているとも聞く。 さて国内の政治状況だが、昨年世論の絶対的支持で誕生した小泉内閣は、「聖域なき構造改革」の掛け声勇ましく、年は暮れた。自民党政治の長年の悪弊は確かに改革の必要があるが、掛け声と理念先行で、現実は深刻な不況を深化させるだけで、企業の倒産、失業率5・5%という最悪の経済状況を招いている。日本国は借金付けで破産直前という、明日の見えない現実である。リストラという嫌な言葉が、私たちの身辺にもひしひしと押し寄せている。若者や子供たちが、元気がないというのも無理はない。 世界の動きも自国の現実もダメ・イメージのなかで、新しい年を迎えた訳だが、やはり「新年おめでとう」のあいさつは交わしたい。とにかく「生きていること」は自然の法則で、現実生活にも「歴史は繰り返す」という冷静な対処も必要である。 例えば筆者が過ごした青春時は昭和初年だが、世界恐慌という深刻な経済状況は今日よりきびしかった。満州事変が勃発(ぼっぱつ)して日本帝国主義は大陸侵攻を始め、その後の泥沼第二次戦争を踏み出していた。 当時も失業者はあふれて、東北の貧農の娘たちの人身売買が珍しくなかった。思想も言論も自由はなく特高警察の弾圧が荒れ狂っていた。そうした中でも若者たちは「社会正義のため」に左翼思想を熱心に学び、学生運動を起こしていた。文学も演劇や芸術活動も活発で、「世の中を良くしたい」民主化に燃えていた。 今は閉塞(へいそく)の中にも情報化という流れもある。ボランティアという新しい価値観もある。市民民主主義が死滅した訳ではない。世界や国の状況が悪いことは事実だが、国民主権の憲法もある。自分たちの住む身近な地域社会を変えることは、市民パワーで可能のことは、近年の幾つかの県知事選でも見られる。 要は私たちが市民として一人一人自覚をもって、身近な身辺を少しでも風通しのよい情報化、民主化を進めることによって、生きがいが生まれると思う。 (上毛新聞 2002年1月23日掲載) |