視点 オピニオン21
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日本ユニバースシステム開発部総括部長 
松下 保男さん
(前橋市岩神町)

 【略歴】前橋高、明治大卒。日本ユニバース・システム開発部総括部長、1994年から新幹線通勤。前橋中心商店街の活性化を考える会会員、波宜亭倶楽部理事。


大切に長く使う心を

◎大量消費

 かみさんが、子供たちに向かって「部屋をかたづけて、ごみを出し整とんなさい」と声を張り上げる。かつて自分も親によく言われた言葉である。いつの時代も同じだ。

 今は、ごみや不用品の分別制が徹底している。環境を守ることは大切なこと、それは未来につながるから。「ごみは捨てる」とは言わずに「ごみは出す」のだと言う人がいる。物を大切にする意味でもいい表現だと思う。そして日ごろ、ごみは必ず庭で燃やした。

 昔、小学生のころ、掃除の最後にはサツマイモを焼いて褒美をもらい、すべてを灰にして庭の肥やしにした。今ではかなわぬことなのだろうか。

 先日、パソコンが不調でメーカーに連絡した。担当者から症状を書いて送れ、との指示があった。待つこと数日、連絡があり、八万円ほどかかり、しかもデータの保証はしかねるとのこと。さらに「新品を買ったほうが安いですよ」との追い討ち発言。

 技術の進歩は早く、しかも国内外入り乱れて激しい競争をしている。半年前の型は陳腐化して、どんどん値が下がる。品物より修理費が高いと感じるのは変な話である。メーカー側の社員が悪い訳ではない。流通のシステムが新品を売るようにできていて、手間と費用のかかる修理は二の次になっているだと思う。

 時代が変わり、省資源や環境保全から物は安易に捨てられないし、捨てることに心の痛みを覚えざるを得ない。

 いつからこんな使い捨ての時代になったのだろうか。幼少のころは、物を一度購入すると、大切に長く使えと先人は言った。物の作りもしっかりしていたと思う。

 もっとも、すべてにおいて選択肢が少なかった。だから、部屋の坪数が小さくても部屋は広く感じ、不自由な思いもあまりしなかったような気がする。

 戦後、欧米の大量生産・大量消費・使い捨ての文化を学びすぎたのだろうか。あるデータによると、日本住宅の平均寿命は米国の半分、英国の三分の一の二十数年だそうである。ましてや中古家屋の流通は、多くないと思われる。

 家の内外に物があふれ続け、修理はしないで古いものは捨てる。そうしないと、新しいものが生まれないからなのか。デバイスの先端技術に携わり、物を作る仕事をしていて矛盾を感じる。

 自分を育ててもらった地域や文化も、整理整とんされていくのだろうか。時代はどんどん進むが、古くても次の時代に残さなければいけないもの、新しくても残してはいけないもの、また復活させるべき良いもの等々を選別しなくては、文化は継続しないと思う。高校時代の仲間と一緒にはじまった萩原朔太郎にゆかりの波宜亭倶楽部や、MKK(前橋の中心街を考える会)の勉強会を通じあらためて強く思う。


(上毛新聞 2002年1月11日掲載)